和尚の現場監督



随分と寺の入り口が変わってしまいました。
入り口の目の前には数件の建物があったのですが、
首都高速道路の工事で取り壊されてしまいました。

やっと寺の存在が外から確認できるようになりましたが、
いざこんな風になると、結構恥ずかしい感じもあって
微妙です。

隣の山手通りの下には、地下高速道路が造られています。
それに合わせて付帯工事も進んでいますが、振動・騒音と
我慢ガマンがまんの状態です。

公共事業に協力することも仕方がないことですが、意見や
クレームをあげないと気遣いがなく勝手にやってしまうので
毎日、工事現場監督みたいな仕事もしています。
おかげで道路工事に明るくなってしまいました(^o^)

掘ったり埋めたり、また掘ったりと、もう少し考えてやればと
思うことも素人ながら感じます。
あと2年くらいはかかるので、それまで現場監督は続きそうです。

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和尚の現場監督 への4件のフィードバック

  1. オヤジの代理 のコメント:

    50年前と今とはどう違いますか?
    はじめて投稿させていただきます。

    『池袋 金剛院』 で検索させていたいたら、ここにたどり着きました。

    実は、70歳になる私の父(現役時代は大工)が、10代の見習い時代に、池袋界隈の建築現場で働いていたようで、その際、金剛院さんの住職さんには、大変お世話になったとのことです。

    そして、父は最近ことあるごとに、「今、その方はどうしているのだろう」とか、「そもそも、その金剛院はいまあるのだろうかと」、くどいくらい話すのです。

    父は、今の池袋がどうなっているかまったく知りません。たぶん、もう50年、池袋には行ったことがないと思います。

    「あの寺は帝銀事件のあった場所に近くてな、とにかく大変な場所だったんだ」という情報しかないのです。

    この50年間のギャップを埋めたいと思っているのです。何か良さそうな方法はございますでしょうか。

  2. オヤジの代理さま のコメント:

    50年前?
    50年前というと先代の住職の時です。
    先代はすでに他界しております。何かのご縁があってお世話になったのでしょうか?。

    その頃のお寺の本堂は、まだ茅葺き屋根の本堂で
    帝銀事件の時には、ご遺体を安置していたとか。
    今は新しく境内も一新されていますが、庫裡だけは
    昔のままです。

    町の様子も川が流れザリガニなども取れましたし、遠くは新宿の方まで建物がなく見渡せたとか・・・。
    でも今は住宅で埋め尽くされて昔の面影はありません。池袋も闇市があったような時から大都会に変身してビルだらけになりました。

    時の流れは、まさに諸行無常です。お年をとられると昔の記憶が蘇るといいます。きっとのんびりしていて
    良き時代だったのかもしれませんね。
    現在の金剛院はこんな感じです↓
    http://www.kongohin.or.jp/kongohin.html

  3. オヤジの代理 のコメント:

    Re:50年前?
    ありがとうございます。私もあまり当日の経緯はわからないのですが、やっぱり帝銀事件では大変だったのですね。オヤジには、そのいただいたホームページからいくつか情報を抜粋し、FAXさせていただきました。「もう昔の面影はないかもしれないけど、寒くならないうちに一度たずねてみたら?」と伝えました。今後ともよろしくお願いいたします。

  4. 和尚 のコメント:

    お大事に
    思いが叶うと良いですね。
    お体大切にしてお過ごし下さるよう
    お伝え下さい。

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