
ようこそ、金剛院へ!
ここでは、金剛院と、金剛院のある長崎(東京都豊島区)の町についてご紹介いたします。
金剛院について詳しくなったら、金剛院クイズに挑戦してみてください。
また、長崎の史跡や名所を廻る長崎オリエンテーリングをご用意しました。
是非、プリントアウトして長崎の町を探検してみてください。
金剛院ってどんなお寺?
所在地 | 東京都豊島区長崎1-9-2 〔アクセス・地図〕 | |
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正式名称 | 山号 | 蓮華山(れんげさん) |
寺号 | 仏性寺(ぶっしょうじ) | |
院号 | 金剛院(こんごういん) | |
宗旨 | 真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは) | |
総本山 | 長谷寺(はせでら):奈良県桜井市 | |
金剛院の本尊 | 阿弥陀三尊(阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩) | |
宗祖 | 弘法大師・空海(南無大師遍照金剛) | |
開基 | 聖弁和尚 大永2年(1522) |
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お経 | 般若理趣経、真言陀羅尼、般若心経 独自の節のついたお経(声明)、ご詠歌 |
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文化財 | 豊島区指定有形文化財 朱塗りの山門(赤門) 豊島区登録 板碑、馬頭観音 |
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霊場 | 豊島および、御府内八十八ヶ所 第七十六番目札所 | |
現住職 |
三十三代目 |
金剛院の文化財、施設紹介
金剛院の歴史
西暦 | 和暦 | 金剛院のできごと |
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1440年 | 永享12年 | 板碑が作られる |
1522年 | 大永2年 | 聖弁和尚、金剛院を開創する |
1563年 | 永禄6年 | 聖弁和尚、没 |
1661-3年 | 寛文 | 寛文年中 梵鐘が鋳造される |
1621年 | 元和7年 | 幕府が、「諸宗諸本山諸法度」を発令。中野村(現・中野区)の宝仙寺と本末関係を結ぶ |
1673-81年 | 延宝 | 延宝年中 火災により仏像や古文書を焼失、現在の位置へ (元禄中との説もあり) |
1688年 | 元禄 | 江戸幕府に「古跡寺院」に認定される |
1704年頃? | 元禄 | 元禄末期 火災により仏像や古文書を焼失、現在の位置へ (延宝中との説もあり) |
1707年 | 宝永4年 | 15世聖誉和尚入山。 「庚申供養塔」建立 |
1715年 | 正徳5年 | 聖誉和尚、金剛院を再建。現、仏舎利塔もこの時に建立された この頃、長崎神社の別当寺になる |
1721年 | 享保6年 | 16世 聖相和尚入山 |
1736年 | 元文元年 | 「六地蔵尊」造立 |
1781-89年 | 天明 | 天明年中、大火の折、罹災者を多く助けた功績の褒賞として、将軍から朱塗りの山門の建立許可を受ける |
1796年 | 寛永8年 | 「舟形浮彫地蔵尊」造立 |
1805年 | 文化2年 | 「大般若経」六百巻が、長崎村檀中より寄進される |
1845-49年 | 安政 | 安政年中、本寺宝仙寺から智観比丘尼が入寺。金剛院を寺子屋にする |
1849年 | 嘉永2年 | 「釈迦涅槃曼荼羅」長崎村檀中より寄進される |
1859年 | 安政6年 | 智観比丘尼没 |
1872年 | 明治5年 | 「本末一派寺院明細帳」を新政府に提出 |
1877年 | 明治10年 | 「寺院明細簿」を新政府に提出 |
1924年 | 大正13年 | 「椎名町駅」開設 |
1926年 | 大正15年 | 「長崎村」が「長崎町」に改められる |
1949年 | 昭和24年 | 「長崎不動尊」建立 |
金剛院クイズ

金剛院について、どれくらい詳しくなりましたか?
自信のある人は、次の金剛院クイズにチャレンジしてみてください。(結構難問かもヨ…)
クイズの答えは、ホームページのどこかに書かれています。
いろんな所に隠されていますので、すみずみまで探してみてください!
金剛院のある町「長崎(東京都豊島区)」の紹介
文字やイラストをクリックしてみてね。
長崎オリエンテーリング
東京都豊島区にある長崎という町は、住宅街にひっそり史跡が生きている町です。
一度訪れてみませんか?
楽しみながら長崎の町を探検していただくために、長崎オリエンテーリングを用意しました。PDFファイルで問題用紙と地図がダウンロードできますので、印刷をして、地図を片手に長崎の町を歩いてみてください。
長崎オリエンテーリングクイズ
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