本堂(ほんどう)

本堂元禄(げんろく)年中(1688~1704)の末期、金剛院は原因不明の火災にみまわれました。(延宝(えんぽう)年中(1673~81)以前という説もあります)
この火災では、多くの仏像や古文書類を焼失してしまいました。

そのために金剛院は、正徳(しょうとく)5年(1715)、現在のところにうつることになったのです。それが長崎村の鎮守社(長崎神社)の東どなりでした。

新しい場所に移った金剛院は、その当時の住職であった十五世・聖誉(しょうよ)和尚の努力によって、本堂や大師堂、山門や鐘楼堂(しょうろうどう)などのお堂が建立され、金剛院の寺容は一新しました。