庚申供養塔(こうしんくようとう)

庚申供養塔金剛院では、元禄(げんろく)末期ころから「庚申講(こうしんこう)」が盛んになりました。「庚申講」は、庚申信仰の信者たちがあつまってつくる集団です。
庚申信仰は、60日に一度めぐってくる庚申(かのえさる)の日に、その夜はねむらずに言行を慎(つつ)しみ、健康長寿を祈る信仰で、この集まりを守庚申(しゅこうしん)あるいは庚申待(こうしんまち)といいます。

この信仰のもとは、中国の老子(ろうし)の考えにもとづく道教(どうきょう)の説によるものです。人の体内にいる三尸(さんし)の虫(霊物)が、庚 申の夜に天にのぼって、その人の罪を天帝(てんてい)に告げるために、寿命をちぢめられると言い伝えられてきました。そのために精進(しょうじん)するわ けです。

金剛院の山門を入って右がわに安置されている笠付型の庚申供養塔は、講中の人びとによって宝永(ほうえい)4年(1707)11月23日に建てられています。
その庚申供養塔には、すべての悪いものを追い払う力がある青面金剛(しょうめんこんごう)や、その神使いであり謹慎態度(きんしんたいど)をしめす 三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)と二羽の鶏(にわとり)、上方には日待(ひま)ち、月待(つきま)ちを表す日月(じつげつ)が浮きぼりされているのが 特徴です。
また、講員と思われる人の戒名(かいみょう)がきざまれている、珍しい庚申供養塔です。

一口に庚申供養塔といっても、そこには深い信仰心と人びとの強い結束力がないかぎり、建つことはありません。