板碑(いたび)
関東において、板碑(いたび)は延文(えんぶん)4年(1359)ころからさかんに見られるようになりますが、金剛院にある板碑には、永享(えいきょう)12年(1440)6月24日としるされてあり、そのさきがけといえます。
板碑は、なくなった人への追善供養(ついぜんくよう)として造られていましたが、しだいに墓石(ぼせき)の意味をもつようになりました。また生前に極楽への後生(ごしょう)を願って建てられたものもあります。
金剛院の板碑は2基あり、その一つの碑の表面には、大日如来(だいにちにょらい)、観音菩薩(かんのんぼさつ)地蔵菩薩(じぞうぼさつ)の種子(しゅじ)が彫られています。種子とは、仏さまを「梵字(ぼんじ)」という字で表したものです。 板碑にはこの種子が彫られているのが原則(げんそく)ですが、もう一つの板碑には阿弥陀如来(あみだにょらい)の画像が彫られています。仏さまの後光(ごこう)が放射状(ほうしゃじょう)にひろがっている美しいものです。さらに「夜念仏」と刻名されており、一夜を徹(てつ)して阿弥陀さまの念仏をとなえる講が存在したのでしょう。
板碑は、人びとの信仰(しんこう)をあらわす尺度(バロメーター)とみてまちがいありません。