鐘楼堂(しょうろうどう)

かつて、金剛院にも「つりがね」がありました。

寛文(かんぶん)年中(1661~1673)に造られたといわれるこの鐘は、金剛院移転のきっかけともなった江戸時代の大火事で、かろうじて残った一つでした。
金剛院が今の場所へ移ってきたとき、本堂(ほんどう)や大師堂(だいしどう)、山門(さんもん)などとともに鐘楼堂(しょうろうどう)も建てられ、鐘はここへ吊り下げられました。

赤門とともに金剛院のもう一つのシンボル的存在だったつりがねですが、太平洋戦争がはげしくなると、つりがねも供出(きょうしゅつ)の対象となってしまい、行方がわからなくなってしまいました。