日本の活躍もあって、ずいぶん盛り上がったワールドカップ。
4年に一度だけ熱心なサッカーファンになる、という方もずいぶんいるようです。
サッカー発祥の地といえばイングランドですが、「球を蹴る」という競技は道具も
少なくどこでもできるので、大昔から世界中のあちこちで楽しまれていました。
世界で一番古い球技の記録は古代中国、漢の時代ころにみられるそうですが、これが
日本に伝わって独自の進化をとげたのがおなじみの蹴鞠ということになります。
蹴鞠というと平安貴族の遊びという印象がありますが、安土桃山時代に制作された「桜下蹴鞠図」
という屏風絵には、お公家さんに混じって僧侶やお稚児さんも一緒になって蹴鞠を楽しんでいる
様子が描かれています。
お坊さんはずいぶん昔から球技を嗜んでいたようで。
現代にも、僧侶のサッカーチームなんてあったら面白いかもしれませんね。
ただし、全員ヘディングは苦手そう。
さて、日本には蹴鞠とならぶ伝統的な球技がもうひとつあります。
こちらは蹴鞠ほどメジャーではありませんが、馬にのりながら毬杖とよばれる棒をつかって
球のやりとりをする「打毬」という競技です。
今も宮内庁はじめいくつかの保存会によって伝統が守られているのですが、この打毬、
ポロシャツのマークでも有名なイギリスの伝統競技「ポロ」にとてもよく似ています。
試合の様子などをみれば、一目でその類似性がおわかりになると思います。
それもそのはずで、打毬の元祖はもともと乗馬の本場である中央アジアあたりで生まれたもので、
それが東に伝わってきたものが日本の打毬となり、西に伝播していったのがイギリスでポロになったのだと
考えられているのです。
打毬とポロは、おなじご先祖さまから生まれた親戚のようなものということ。
広い世界ですが、なにごとも浅からぬ「ご縁」でつながっているものですね。
「袖すり合うも多生の縁」ということばがありますが、これは道ですれ違いざまに袖がふれた程度の間柄でも、
前世や前前世では非常に深い繋がりのあった相手である、それほどこの世界は断ちがたい縁で結ばれて
いるのだ、ということをあらわしたことわざです。
いまは敵味方の間柄の相手であっても、前世では夫婦だったかもしれない。親子だったのかもしれない。
ならば、そんなもの同士でいがみあうような愚かなことはやめなさい。
仏教の「ご縁」ということばには、そういう意味も含まれているのではないかと思います。