一月いく月、二月にげる月、三月さる月、などといいますが、今年も
あっという間に三月。四月の花祭りがやってきて、それが過ぎれば、
今年は大変なご慶事がやってきますね。
五月、天皇陛下の御代替わりです。
もうすぐ新元号も発表になるようですが、どうなるのでしょう。
国民だれもが受け入れられるような素晴らしい文字になるといいですね。
元号とお寺には、たいへん深いつながりがあります。
といっても全てのお寺にというわけではなく、正確には「元号とたいへん
深いつながりのあるお寺がある」というべきでしょうか。
いちばん有名なのが比叡山延暦寺で、延暦というのは平安時代初頭、
桓武天皇の時代に使われた元号です。
平安京は、桓武天皇が都を奈良から山城にうつしたことでスタートしましたが、
その新しい都の風水的な防御として、鬼門の方角につくられたのが比叡山に
創建されたお寺でした。
創建した最澄は桓武天皇の仏教の師でもあり、こうしたご縁から寺の名前と
して元号を用いることが許され、「延暦寺」と呼ばれるようになったのです。
こうしたお寺は「元号寺」などとも呼ばれますが、元号を冠するのは
たいへん名誉なことで、そうそう許されるものでもありません。
ですから数は多くないのですが、延暦寺のほかにもいくつかの元号寺が
こんにちまで続いています。
奈良県には、平安時代前期、一条天皇の頃の元号を冠した正暦寺があります。
奈良の山深い場所にありますが、もみじの名所として、また酒造り発祥の地
としても有名なお寺で、境内にはこれを記念した石碑も建立されています。
桜で有名な京都の仁和寺も元号のお寺です。
仁和は9世紀末の元号で、この時の天皇は光孝天皇、宇多天皇でした。
鎌倉の建仁寺は建仁2年(1202)に建てられたお寺で、さらに建長寺も
建長5年(1253)に建立されたお寺です。
鎌倉に2つも元号寺があることは、それだけ鎌倉幕府の力が強かった
ことを物語っています。
そして関東にもうひとつ、これも有名な元号寺が、お江戸は上野に
創建された東叡山寛永寺です。
江戸時代初期、寛永2年(1625)に建てられたのですが、これは家康の
ブレーンだった天海僧正が、京都の延暦寺にならって江戸城の鬼門封じ
として計画したものだともいわれています。
比叡山延暦寺の東日本版だから、
東叡山寛永寺、ということですね。
江戸を京都にも劣らない都にしようという壮大な意図が透けて見えます。
現在では皇室が直々に元号を名乗るお許しを出すということはないので、
公式な「元号寺」が増えることはないでしょう。
とはいえ、仏教と皇室のご縁の歴史を示すものとして、とても面白い
ものだと思いませんか?