秋も深まり思うこと



これからの季節は、落ち葉の清掃が大変です。

当たり前のことですが、イチョウは植物です。
植物は枝が折れたり、倒れたりしたとき、痛みや苦しみを感じるのでしょうか?

もちろん、人間のように恐怖に叫んだり、苦痛に悶えたりはしないでしょう。
しかしたとえばある植物は、葉っぱが虫に食べられたときには、その虫が嫌がる物質を
発生させて追い払う、近づかなくする、というワザをもっています。

それは全く生理学的、化学的な反応には違いないのでしょうが、人間とは仕組みの
異なる「感情」のようなものがあるようにも思えてなりません。

難しいところですが、様々なものを擬人化してとらえてしまうのは人間の脳の習性で
あり、それが正しい世界認識であるとは言えません。

木には木の、動物には動物それぞれの世界の見え方、感じ方があるはずだからです。

一方で、仏教には輪廻転生という考えがあります。
一言で説明はできませんが、今の「私」はたまたま人間に生まれているだけであり、
魂はあらゆる生き物に生まれ変わり得る、そのように転生し続けるのだ、という思想です。

この「私」は、次の生では虫になるかもしれない。再び人になるかもしれない。
あるいは木に生まれ変わるのかもしれません。

人間と木は同じ?異なる?
仏教の根本的な問いのようなことを、イチョウの枝をみて考えてしまいました。

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