秋になるとお月見が待ち遠しくなりますね。
満月は、文字通り月に一度はみられるものなのに、なぜ秋の月がとりわけ
美しく感じられるのでしょう。
本来ならば星と同じように、月が最もクリアに見られるのは空気が冴え渡った真冬のはず。
とはいえ、真冬の夜の寒空の下では、なかなか優雅にお月見、という気持ちにはなれませんね…。
また夏は地球の自転軸の関係で、満月が他の季節より低い位置に見えてしまうのだそうです。
そして春は霞の季節ですから、朧月夜は楽しめてもスッキリ曇りのない月夜になるチャンスは低め。
ということで、やっぱり秋の月がいちばんきれいに見える、と昔の人も感じたのではないでしょうか?
もちろん、美の基準は人それぞれですが。
弘法大師は、満月を「月輪(がちりん)」と呼ぶことがあります。
太陽の「日輪」に対応することばですが、日輪に比べると月輪はやや知名度低めかも。
しかし、大師は「月輪」は菩提心、つまり、人間が誰しも心の中に持っている、悟りを求めようとする
心をあらわすものだとされています。
菩提心は、「悟りを求めたい」「仏の教えを学び、実践したい」と思うきっかけになるものですから、
仏教者にとってはさまざまな心のありようのなかでも最も尊いものとなります。
修行のなかにも、自らの心を曇りなく輝く満月のように清浄である、自分と月とが一体であると
観念する「月輪観」というものがあるくらい。
世の中の全ての人が満月のように美しい澄んだ心を持つことができれば、世界から争いや
諍いはすぐに消えてしまうのかもしれません。