散骨について


人の遺骨を海や山に撒いてしまうことを 「散骨」といいます。

この散骨が、実際にはどのようになされているのか、
皆さんはご存じでしょうか?

人の遺骨は、火葬したままですと骨の原型が残っているので
そのまま撒いてしまうことはできません。ですから遺骨は、粉状に
細かくして撒きやすいようにします。

そして里山の散骨場所で撒いたり、船で沖合に出て撒いたり
するわけです。ただ、どこでも好きな場所に撒いていいわけでは
ありません。

山でも海でも、当然そこの土地の所有者や利用している人、
周辺住民の許可が必要です。個人でそうした許可を得ることは
簡単ではないので、実際は散骨を推進するNPO法人や企業などが
場所を確保して散骨をしています。

そのような方たちの「自然に帰る」という美しい言葉の宣伝で散骨を
希望されている方もいるかと思いますが、現在、どのくらいの数が
なされているのでしょうか?

散骨の普及を推進してきたNPO「葬送の自由をすすめる会」は、
発足約20年で2500人程度の散骨を行ってきました。これを1年の
平均にすると約125人ということになります。

その他、業者が行っている散骨がありますので、多めに見積もっても
1年間に5〜600人が散骨しているのではないかと予想できます。
日本人の年間死亡者数が約100万人ですから、これは死亡者数の
0.05〜0.06%にしか過ぎず少ないです。

一方、散骨をしたいと考える人はどのくらいいるのでしょうか?
第一生命が、平成22年に行ったアンケート調査があります。

これによると、「自分は遺骨を全部撒いてもらいたい」が17%、「遺骨を
一部だけ撒いてもらいたい」が、11.8%で、この二つをあわせると実に
28.8%の人が散骨を希望しています。

もっとも希望する人の少なかった65〜80歳だけで見ても、散骨希望の
人は19.9%います。年配の方でも20%ちかい人が散骨をしたいと
考えているにもかかわらず、実際には0.1%以下の人しか散骨を
していないのです。

こうしたギャップは、なぜ生まれるのでしょう?

ひとつは、どうやって散骨をしたらいいのかを知らないという人が、多いのか
しれません。あるいは「ただ良さそうだから」という、何の考えもない楽観的な
思いだけのことだからかもしれません。

そしてもうひとつは、亡くなる当人が散骨を希望していても、遺族がそれを
望んでいない場合が多いということです。人の死の受け止め方は、それぞれに
違うのです。

現代のような、何でも合理的に考える世の中になっても、やはりお墓が
無いと落ち着かない、手をあわせる場所が無いと安心できないという人が
多いのです。

死んでいく当人は、お墓が無くても不満は無いのでしょうが、遺されるほうは
そうではないということです。

そのため、散骨で遺骨をすべて撒いてしまったけれど、しばらくしたら、
どうにも心が落ち着かなくて、結局、お墓を購入したというエピソードをよく
聞きます。

もちろん遺骨はありませんから、お墓の下はからっぽです。

自然というグランドは、思いを込めるには大きすぎるのかもしれません。
愛する人が、そこにいるから愛せるのであって、手を合わすことのできる
何らかの「形」が、必要なのかもしれませんね。

日本人ぽく回りの情報に惑わされて、散骨を希望する人は、これからも
増えていくかもしれませんが、実際に散骨をする人は、さほど増えていか
ないでしょう。逆に減少傾向になっていくでしょう!

なぜなら、亡くなった家族との絆を再確認できる場所が、遺された人に
とっては必要だということなのです。

どこにあっても「心の持ち方次第」と、言うかもしれませんが、実際
のその場面になってみないと、心の動きはわからないものです。

全部の遺骨を、散骨する場合には、慎重に考えて行ってください。

 

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