空海からのおくりもの



東京都にある印刷博物館で、「空海からのおくりもの
-高野山の書庫の扉をひらく
」という展覧会が開催されます。
(4月23日から7月18日まで)。

真言宗の開祖である弘法大師空海は、43歳のとき、
嵯峨天皇に高野山を賜りたいという上表文を提出しました。
高野山を真言密教の根本道場とするためです。

それではなぜ、高野山を選んだのでしょうか。

空海は、少年のころ好んで山野を歩き回ったが、四面高嶺に
して人跡もまれで、修禅の地に最もふさわしいと、その理由を
述べています。

空海が上表文を提出すると、嵯峨天皇は翌月に「これを賜うべし」との
勅許を下して裁可しました。
なんとも迅速な裁可であり、空海の偉大なる影響力を感じます。

高野山を賜った空海は、ただちに根本道場の開創に取りかかりました。
これが後に、高野山金剛峯寺となるわけです。高野山では、空海が
唐から招来した密教の経典や教書を中心に、写本、版本、版画などを
作り、世に送り出してきました。

高野山は、真言密教の根本道場であるとともに、現代の出版の源流でも
あったのです。

空海は、「満濃池」の改修、「綜芸種智院」の開設など、社会事業や
教育事業でも活躍しましたが、印刷技術の発達にも大いに貢献した
わけです。

展覧会では、高野山に連綿と伝えられてきた写本、版本、版画など、
国宝2点、重要文化財31点を含む秘宝計79点が展示されるそうです。

今回の展覧会は、ネット社会の中で、日本人にとって書物とは
なにかを考える貴重な機会になるかもしれません。
http://www.printing-museum.org/index.html

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空海からのおくりもの への1件のコメント

  1. 米澤 菊地 のコメント:

    綜芸種智院
    空海からのおくりものは我が街にもあった。
    京に建てられた庶民教育のための学校綜芸種智院(828年12月15日)設立趣意書と学則とも言うべき綜芸種智院並序の真筆(文部省重要文化財)が米澤上杉神社に大切に保管されています。この原本は鎌倉極楽寺の僧政遍が高野山無量光院に納めていたものを大旦那であった上杉家が所有することとなったもので漢文による文面で外筥は輪羯磨の蒔絵で鎌倉時代の作といわれています弘法大師55才のころと言われています、内容は
    凡そ道を学ぶには処、法,師、衣食の資の四つのものが必要である、今処と法がそろい衣食の資があるからには先ず師(先生)を求めなくてはならない仏道を教える先生儒教を教える先生それぞれに教えることがらで慈悲の心を持ち忠孝の心を忘れず身分貧富の差別は一切見ないで倦むことなく指導に当たることを望む三界は悉く吾が子であり四海は全て兄弟であることを忘れてはならない。然らば今生後世相共に仏道に駕して天下の衆生を利済せん云々と

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