「講」はコミュニティーの中心だった



先日のブログで紹介した「大江戸お寺繁昌記」で、著者の安藤さんが
「お寺のサポート」としての「講」の果たした役割を書かれていました。

地域のコミュニティーの中心に、「講」があり、江戸時代の人々の
信仰心の厚さや、お寺が非常に身近な存在だったことの証なのでは
ないでしょうか。

和尚の寺にも「長崎不動講」という講がありますが、「講」は、
サポート隊もさることながら、さまざまな人たちが集っている
「異業種交流会」のような側面も持ちあわせています。

職業や身分を超えた、ヨコのつながりで皆さんが集まり、地域や文化の
活性化にも尽力されていて、頭が下がる思いです。

明年1月には、成田山への坊入り初参りの団参です。
また、立場の違う参加者と楽しいお参りになるといいですね~~~。

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