人物評価は難しい



東京の亀有というところは、水戸街道の起点で、
あの水戸の黄門様こと徳川光圀公と、お供の助さん、
格さんの一里塚跡のモニュメントがあります。

光圀公は江戸・小石川の水戸藩邸に住みながら〝副将軍〟
として江戸城に参内しつつ、水戸にもたびたび帰藩しま
したので、ここを何回も往復したとか・・・。

もっとも、こうして三人が並んで水戸街道を歩いたことは、
果たしてあったのやら、なかったのやらはわかりませんが・・・。

光圀公といえば、儒教を重んじ、尊皇の精神で「大日本史」の
歴史書編纂に着手するなど、のちの水戸学の基を作ったと
言われています。

そんなことで、光圀公はかなりの国家主義の人で、各宗のお寺に
廃仏思考で圧迫を加えたとか、歴史編纂事業に多くの予算を回した
ため藩の財政は厳しく、農民も楽でなかったと指摘する歴史家もいます。

しかし、光圀公が亡くなったとき、人々は「天下の宝がつきはてた」と
嘆き、「義公」のおくり名を贈りました。

仏教についても、生母追善のために一寺を開創したり、京都のある
大寺院を篤く外護したり、またあるお寺の仏典・古文書を収める
法宝蔵を作ったり・・・と、光圀公ゆかりのお寺はたくさんあります。

人の人に対する評価は歴史によって様々に変転し、ときには
180度転換してしまうことさえあります。

私たちも他人の本心を見誤り、曲解によってその人を評価して
しまいがち・・・。

なかなか容易なことではありませんけれど、色眼鏡を外して、
冷静に、やわらかな素直な気持ちで世間を見ていく姿勢が大切ですね。

黄門様も今頃あの世で、「いろいろ勝手な人物像を作りおって」と
「カッカッカッ」と高&苦笑いをしているかもしれませんねぇ~~。

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