「おせがき」の時にラオスの子どもたちに、皆さん方から
ご協力を頂いた募金の金額は、69,284円でした。
「ラオス援助会SALA」の代表より、ご協力の御礼を頂きました。
数年前チャリテイ番組(24時間テレビ「愛は地球を救うだったかな?)で
若い芸能人が、現地の貧しい女の子に「僕も100円寄付したんだけど、
どこに使われたかわかる?」と言いました。
日本の若者が、このような事を言っているうちは、日本人の
ボランテイア感覚は育ちにくいなァと思いました。
「喜捨」という言葉が、日本人の魂から失われてしまったのだ
としたら残念な事ですね。
「自分がしたい。してあげたい」心からの思いが募金であって、
そこに見返りや価値を求めるものではありません。
もっと気になるのは、「ラオス子供も結構だけど、それよりオレの
ことを考えてくれよ・・・!!」という、大人たちです。
この大人たちよりも、はるかに貧困の生活にありながら、心豊かに
美しく、いつも目を輝かせながら、共に生きているラオスの子供たちの
方が、よほど幸せなのかもしれませんね。
そして「ずっと貧乏だったからさ、不景気といわれてもピンとこないよ」
そういって1000円を募金してくれTさんの笑顔も忘れることができません。
Unknown
勤労や奉仕も本来見返りを求めて行うものでは無いと思います。見返りを求めて行うことは邪心が入ります。シンプルに単純に生きれば良いのだと思います。合掌。
想像できないけど
ラオスはあまり知られていない国ですが、
以前にラオスから留学していた子が
近所に住んでいました。
とても素直で真面目な青年で、将来はエンジニアを
目指すと言っていました。今はどうしているか
わかりませんが、がんばってほしいと思います。
Unknown
背骨でございます。
「楽をして金を稼ぐ」「他人が額に汗して得た稼ぎを搾取して儲ける」ことが持て囃される現代では、件の芸能人のような発言も不思議ではないでしょう。そういえば、最近の芸能人で「あゆみの箱」のような社会福祉活動を行う人っていませんねえ…。
ほんの少し前まで、「成金趣味」「銭ゲバ」などと社会的に蔑みの対象になっていた生き方が、いつの間にか尊敬の対象にすらなってしまった昨今、喜捨やボランティアの文化が根付くのは難しいのかもしれません。豊かになりすぎてしまった代償の一つなのでしょうね。
そういえば現代人は「祈り」も「怒り」も忘れてしまったように思います。進む一方の社会や人間の歪みを止める術はないのでしょうか。
Unknown
和尚はじめ、皆様、ご立派ですなー。
いろいろご批判、いやぁ、まことに立派です、パチパチ(拍手)
えらいっ(拍手)
その100円で助かる人がいるのだからいいじゃないかと
凡人の私は思いましたです。
さすが、仏様に仕える身は言うことが違いますなー
フードアナリスト食人さま
気がつけば「見返りを求めて」手を出して
いる時がたくさんありますね!!
KANさま
何もない国に、我々の先進国のやり方や
価値観を押しつけてはいないか・・・。
自分なりの勉強したラオス人がラオスのために
貢献できることが出来れば・・・と思います。
背骨さま
先日、中国へいってきました。
いろいろ宗教的には規制のある国ですが、
お寺では、それはそれは一般の人々が
仏さまに礼拝して、あつい「祈り」をささげて
います。
それに中国の人たちは、すぐ怒りますね!!
凡人でやんすさま
それぞれが信ずる道で頑張りましょう!!