最近多いんですよね電車の遅れ・・・。
しかも、その理由が人身事故で、なんだか毎日のように起きて
いるような気がします。
今日も踏切ぜんぜん空かないし、約束のお客さんは遅れてくるし・・・。
首都圏では、電車の相互乗り入れが多くなった理由もあるみたい
ですが、年間3万人と言われる自殺者です。
命が亡くなったのに、「またか」と慣れてしまっている人々。
しかも、それを「迷惑」としか捉えることのできない心・・・。
彼らは、「迷惑をかけたくて」死ぬわけではありません。
「もう迷惑をかけたくない」と思って命を絶つわけです。
そして「死にたく」て自殺する人は、いないのです。
和尚の寺にも「死にたい」という人が来ます。
つまり、まだ「死にたくない」ということ・・・。
助けを求めているということ・・・。
「死にたい」といういう心の叫びの奥には、本当は「生きたい」
「生きていたい・・・」という気持ちが潜んでいます。
この「生きる」という気持ちに、自らが気づくことが大切です。
でもスパゲティーのように絡まってしまった自分自身も気づかない
心の内を紐解くには時間がかかります。
ただ話を傾聴するだけ・・・。
相手が話さなければ1時間も無言で時が流れていきます。
何かの仕組みを変えていかなければ15分に1人という、この数は
これからも増え続けていくかもしれません。
「自殺対策に取り組む僧侶の会」こんな会もあります!
http://homepage3.nifty.com/bouzsanga/
Unknown
私は、歩いている時に南無大師遍照金剛を必死に唱えます。唱えると弘法大師様が見守って下さるような気が致します。感謝合掌
うーん
背骨でございます。
本当に問われているのは、私たちの価値観ではないのでしょうか。
「勝ち組」「負け組」という言葉がいい例だと思うのですが、何かにつけて2つのカテゴリーに分けて、いわゆる「勝ち組」に入っていないとダメという、私たちの行動様式を基本的に変えていかないと、根本的な問題は何も変わらないという気がしています。現代人が長期的な視点で物事を捉えられなくなってきているのも、根っこは同じだと思います。「勝ち組に入れば何をやっても許される」ような風潮こそ、その表れです。
例えば、リストラされた部下が自殺に追い込まれたとして、そのことを反省し悲しむ上司や経営者が何人いるのでしょうか? ということです。そういえば、最近は「功成り名を遂げた」経済人や政治家の信仰に関する話を聞かなくなりましたね。
昔、父親に「苦しいことがあっても、絶対に自分で命を絶つようなことはするな。たとえホームレスになっても、生きていることに価値がある」と言われたことがあります。こういう父親って、今では少数派なのでしょうね。
背骨様
背骨様の仰る通りですねえ。今の時世精神をやられますね。背骨様のお言葉に感謝合掌。
フードアナリスト食人さま
「同行二人」(どうぎょうににん)ですね。
いつも、お大師さまと一緒にいる・・・。
そんな信仰があれば、人は苦しいときにでも
頑張ることができます
背骨さま
たしかに・・・。
たぶん多くの方は、今までの価値観を変えなければと
思っていると思います。
昨日も学校の先生が、「勝ち組の優秀な子」か
「負け組の悪い子」しかいなくて、真ん中の
重厚な子どもたちがいないと・・・。
立ち話だったので、どこまでの意味かわかりません
が、今が頑張りどきですね