あきらめが大切?



新型インフルエンザ感染の拡大が懸念されています。

自然の力は、人間の科学や技術では十分に対処できない
ことがあります。

越後の名僧であった良寛さんは、大地震に遭遇したとき
「災難に遭うときは、災難に遭うがよく・・・死ぬときには
死ぬがよく・・・これは災難をのがれる一番の方法だ」と言っています。

何をのんびりしたことを言っているのだと怒られる方もいるかも
しれません。

しかし、私たちは、災難に遭えば苦しみ、いろいろと考えて
じたばたします。

そして苦しみは、さらなる苦しみとなっていきます。

「人生は、なるようにしかならない」すべての出来事を
「ありのまま」に受け止めて、物事に動じない「こころ」の
大きさが感じれれる言葉です。

私たちも「もう!いいや!」と、思った瞬間に「こころ」が
軽くなったことはありませんか?

「こだわり」続けていくよりも、「あきらめ」が肝心なのかも
しれませんね。

ちょっとした「こころ」の持ち方で、
明るい光が見つけられるかもしれませんよ

カテゴリー: 金剛院和尚のブツブツ雑記 パーマリンク

あきらめが大切? への2件のフィードバック

  1. ゆごっぷ のコメント:

    Unknown
    お久しぶりにコメントさせていただきます。

    そういえば、「諦」というのは「真理」という意味だそうですね。
    そう言っていたのは「みうらじゅん」ですが・・・

    ある日

    あきらめて ただあきらめて ひとつずつ

    という句(?)が浮かびましたが
    確かに物事にこだわりそうになったとき、この句(??)を諳んじると、心が楽になりました。

    ずっと忘れてました。

    ありがとうございます。

    久しぶりなのに長々とコメントして、申し訳ないです。

  2. 和尚 のコメント:

    ゆごっぷさま
    この「あきらめ」て、実はとてもむずかし心の
    作業で、無心で「あきらめ」られると良いんだけれど
    「怒り」の感情で封印してしまう「あきらめ」も
    あって、なかんかむずかしもんです

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください