いい人を演じるのは、自分を良く見せたいから・・・。
あの人は変だ、あの人は間違っている・・・。
そんなレッテルを貼られるのが怖くて、孤独感に苛まれるのを
避けるために、人は、一緒に行動し、いい人を演じているのかも
しれない。
誰だつて、人から好かれたいと思っているし、自分が弱い人間で
あることも知っている。
しかも、自分が、そんなに「いい人」でないことも知っている。
お寺の子だから、これはダメ、こうしなさい、いい子でいなさい。
和尚は、そうして育てられた気がする。
「~ねばならない」という、人の規則を、納得がいかないままに
いい顔をして受け入れてきた。
そんな「ねばならない」という生き方から、「したい」という生き方へ。
「自分には自分の生き方がある」簡単そうに思えるけれど、そんなふうに
思えるまで時間がかかったように思う・・・。
む・・難しい。。
以前京都のお寺に行った時、本堂でのお話を聞きました
とても、答えずらぃ・・難しい問題でした。
「川に自分の母と、相手の(結婚している、もしくは恋人の母)義母が溺れています。助けるならどちらから助けますか? 選べないと言う方もいるでしょう」
とても複雑な、意地悪な問題だ!と思いつつ・・
8割以上が自分の母を助けると言うのが多かったのも事実で。。
でも中には相手の親から助ける!って方も居ました あとはどちらも選べない。って方も居ました。
出題している、お坊さんは自身はどちらを選ぶのだのだろう・・?
お坊さんは「女房の親から助け出します。」私はびっくりしましたが、笑いました
何故なら「夫婦関係を上手く行くにはそう言うしかございません」と・・
「しかしそれは人間的感情や思ぃであり‘仏‘は無心なので近い方から助けるでしょう」と言ったのです。。
なるほど!!って関心しましたが
私個人はどれも正解に感じました
★自分の親から助け出すと言うのも間違って居ないと思いますし、何故なら正直な気持ちだと思うからです。
★相手の親から助け出すと言うのも、いい人ぶってるのかと思いきや・・相手に思いやりの言葉を掛け、誰だって「君の親から助ける」って言われて、
嫌な気はしませんもの それも一つの優しさなんだと。。
どちらも選べないと言うのも、難し過ぎてどちらの命も尊いものなんだと思い、簡単には口では言えない。
どちらも救いたい。云う意味で私自身解釈しました。
それが「人間」なんだなと良くも悪くも自分を考えさせてくれたお話でした{/hakushu/
良い様に解釈し過ぎでしょうか・・?↓
こういうのをいい人ぶるって言うのでしょうか。
そして私事で長くなりごめんなさぃです
キャべ太郎さま
お坊さんが大好きなフレーズの一つです。
でも、実際そんな場面にあったら、いちいち
考えていませんものね・・・。
もう必死です
Unknown
お坊さんの大好きなフレーズの一つなんですね・・・・・・。
なんかそう言われると・・なんかガッカリ。。
いわゆる、ベタって事なんですね。。
キャべ太郎
「感謝」という言葉も大好きですね・・・