仏さまに手を合わせるとき、私たちの心は
素直で真剣です。
苦しいとき、悲しいとき、何かを成し遂げたい
とき・・・。
「困った時だけでは虫が良すぎる」という人もいる
かもしれません。
でも、私たちは困難を打ち破ろうと、必死に努力し、
人事を尽くしています。そして、お参りに行き仏さまに
祈りをささげます。
みんなが寝静まった真夜中に、まだ暗い早朝から参道の
ゴッゴツした石畳を踏みしめながら、寒いのに汗だくで
息を荒くしながら仏さまに手を合わせる・・・。
「お百度参り」「お百度を踏む」・・・不景気なのか和尚の
寺では、そんな、お参りをする方が多くなりました。
お寺の山門入り口から本堂まで、距離にして往復100㍍
くらいを100往復・・・。
あるいは弘法大師の御前を100週したりして、仏を拝み
願いをかけます。
「願いがかないますように」と、その昔は百日間もつづけて
参拝したといいます。
お百度参りの「お百度石」を見ていると、お参りした人々の
切実な心と姿が目に浮かび、厳粛な気持ちになります。
家族や恋人をこの病気から救って欲しい・・。一生に一度の
この人生の危機を何とか守って欲しい・・・。
「お百度石」には、人間のそういう必死な願いがこもって
います。そして「仏にすがる」とは、そういう思いなのだと、
ハッとさせられます。
やがて時が過ぎ・・・その結果がでた方が、早朝から御礼の
お百度参り・・・。
良い結果だったのか?それとも願いが叶わなくとも御礼の
お参り・・・。
どちらにしても頭が下がる思いです。