邪鬼のふり見て我が邪気はらう



和尚の寺の山門を入ると、庚申供養塔があるのを知っていますか?
邪気をはらう青面金剛尊をメインに、お使いの三猿(見ざる、
聞かざる、言わざる)や二羽の鶏、そして日待ち・月待ちの
日月が配されています。

江戸時代、金剛院を心のより所としていた村の人たちが
庚申講(こうしんこう)という集まりを作りました。

そして、六十日に一度、庚申(こうしん、かのえさる)の日の夜に、
日ごろの行ないを反省しつつ、祈りながら夜を明かしました。

自分たちと子孫の幸せが、そして、みんなの心なごむ集まりが、
いつまでも続くようにと建てたのが庚申供養塔です。

こじんまりとした石の塔ですが、むかしの村人たちの仏神への
あつい信仰、そして心の絆(きずな)が感じられ、ほのぼのと
させられる石仏です。

あるところで見つけた庚申塔?(写真)は、三猿のうえに青面金剛尊に
踏まれて、ひれ伏した邪鬼(じゃき)がいます。

やはり、邪悪なものを払い除けてくれるという信仰をあらわした
もののようです。

邪鬼というと、仏教の守護神である四天王像などに踏みつけられて、
苦悶(くもん)している表情の鬼が思い浮かびます。
奈良の東大寺や興福寺のものが有名ですね。

しかし、この邪鬼・・・。仏像ファンには、けっこう人気なんだ
そうです。

もちろん、邪悪を押さえて仏の教えを守る四天王像はヒーローですが、
押さえ込まれた邪鬼のほうの表情も、なかなかユニークです。

苦しんでいるが、必死に踏ん張っているようでもあり、反骨精神を
むき出しにしているようでもあり……。

そういえば、興福寺には、仏さまを照らすための燈籠(とうろう)を
力一杯に持ち上げている邪鬼の像もありますし、法隆寺の五重塔の
屋根のところで四隅に出ている梁(はり)をグッと支え続けている
邪鬼もいます。

どうやら邪鬼は、「縁の下の力持ち」的な役割も担っているようです。
もともと「天邪鬼(あまのじゃく)」や「邪鬼(じゃき)」は、
いたずら好きの小悪魔的なものとされ、極悪の存在とはちょっと違うらしい。

ということは、四天王像に踏まれた鬼も、それから写真の青面金剛尊の
足元の鬼も、「仏さま神さまの言うことを聞かないと、俺様みたいな目に
あうぞ」って、私たちに身をもって教えてくれているのかも。

いずれにせよ私たち、お参りしたときに、あたたかく仏さまに
迎えてもらえるよう、スキを見ては心に入り込もうと狙っている
邪鬼や邪気を吹き飛ばして、清らかな毎日を心がけていきたいもの
ですね。

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邪鬼のふり見て我が邪気はらう への2件のフィードバック

  1. makoto-jin-rei のコメント:

    庚申塔について
    庚申塔は元々村々の境など、
    街道沿いに多く置かれていて、
    道標も兼ねていたものが多いようです。
    開発で神社仏閣に遷されたものが多いようですが、
    和尚さんのお寺のものは、
    どういう経緯なのでしょうか。
    村境の街道沿いのに置いたのは、
    当時「邪」や「魔」の仕業と信じられていた、
    死病や伝染病を防ぐ意味合いもあったそうです。

  2. 和尚 のコメント:

    makotoさま
    和尚の寺の庚申塔は80センチくらいの
    宝永4年(1707)に建立された笠付型の
    ものです。

    三尸昇天の機会を与えぬよう夜も眠らずに過ごし、
    道教と仏教が混在しているこの信仰は、現代人に
    とってみれば、たわいのないことでしょうが、
    民間信仰とは、このようなものなのかもしれません。

    檀家さんの地域の境で、それぞれに庚申講が
    存在していて、昭和の終わり頃まで講が存在
    していたところもあります。

    お寺にある庚申塔は、そんないずれかの
    講元が建立したものでお寺に寄進されました。

    講が閉鎖してお寺にきたのか、道ばたに
    あったものがお寺に移動したのかわかりません。

    講員さんと思われる戒名も刻まれている
    珍しい庚申塔で、その方の後生を願ったもの
    なのかもしれません。

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