死は本望である



B級戦犯として巣鴨プリズンに収監され、総ての
罪を背負って死刑となった岡田資中将の映画
明日への遺言』を見てきました。

中尉の妻役に富司純子さん。ただただ見つめる
だけのむずかしい名演技。

アメリカ人検察官役がスティーヴ・マックィーンに
似でいると思っていたら本当の息子さんだった!!
なつかしい・・・。

映画の内容よりも回りの様子や、人の生き方について
考えさせられる作品でした。

この映画の最後には、和尚の大先輩であり当時の
BC級戦犯の教誨師を務められた田嶋隆純大僧正が
登場します。

大僧正については以前、ブログで紹介してことも
ありますが、現在のご住職様から、映画のご案内と
チケットを頂戴しました。

エンドロールの最後で「取材・資料」の協力として、
ご住職様ご夫妻のお名前を確認してきましたが、
そこまで席を立つ人が誰もいなかった事が、この
映画への奥深さを表しているのかもしれません。

岡田資中将は、仏教の信心厚く経を唱えたり座禅をする
姿も映画の中で表現されています。

死の恐れさえも感じない悟りきった中尉の心は、仏への
信心だったのかもしれません。

しかし、最後に彼は「私は戒名なんて不要です。特に葬式
法要は一切不要です」と言います。

大岡昇平氏の原作には、「仏縁により今生を得て働かせて
もらった」「こんな世に葬式法要一切不要です。お曼荼羅の
前に写真や俗名を並べてくれたら結構です」と続きます。

戦争で遺骨や遺髪さえない者もいて、またB級戦犯として
その姿が奉じられて戦争復活につながることも考えての
発言だったのでしょう。

すべてに「覚悟」ができて、すべてに「信念」をもたれて
すべてに「信心」を持ち続けていた方なのかもしれません。

月夜の晩に田嶋隆純教誨師とともに、手錠をかけ念珠をもち
死刑執行の階段に入り、合掌する場面で映画は終わります。
衣装はその当時の衣とお袈裟だそうです。

「本当にお別れですね」と、田嶋隆純教誨師・・・。

「な~に、ちょっと隣に行くようなもんですよ」と岡田資中将。

「隣の世界」とは、私たち心の中のすぐ近くにある
のかもしれませんね・・・。

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死は本望である への7件のフィードバック

  1. 早智 のコメント:

    私も見ました
    日本の良い厳格さと信心をもたれていた方なんでしょうね。全然気が付きませんでした。和尚様の大先輩にご苦労された方がいたなんて・・・。

  2. ゴリ のコメント:

    不動心
    処刑におびえる部下に対して座禅をすすめ狼狽することなく説く中尉の不動心。
    なかなかマネできるものではない。それにしても竹野内豊のナレーションは違和感があったな!!

  3. タイ のコメント:

    チベット
    真言宗はどうしてチベットに関して触れないのですか?
    情けなさ過ぎます!!

  4. 和尚 のコメント:

    早智さま
    和尚も教誨師のお役を頂いたことがありましたが、
    あまり興味がなかったので、お断りしてしまった
    経緯があります。
    でも1回だけ講話にいったことがあります。
    田嶋大僧正もどんなお気持ちだったんでしょうね。

  5. 和尚 のコメント:

    ゴリさま
    なかなか不動心というのはむずかしい・・・。
    いい人だと思っていた人が欲望の固まりだったり、
    強そうな方が弱かったり・・。
    特に有事の時に人の真価が問われますね!

  6. 和尚 のコメント:

    タイさま
    以前にもこのブログ内でチベット問題については
    いくつか触れました。
    仏教界でも声明をだして努力しています。

    ミャンマーの問題もそうですが、マスコミは
    深く掘り下げて正確な情報を追おうとしません。

    オリンピックも終われば風化してしまいそう!

    チベットのことは、これからも正しい情報を
    共有して、声を上げていこうと思っています。

  7. タイ のコメント:

    チベット
    真言密教が声を「大」にして下さい。
    宜しくお願いします。

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