お寺でワールドカップ?



国を追われた亡命中のチベット修行僧が
僧院の中でワールドカップを見ようと奮闘する
映画『ザ・カップ/夢のアンテナ』を見た。

本物のお寺に撮影機材を持ち込んで、出演者の
ほとんどが実際に修行中の僧侶たちだとか。

しかも、監督・脚本は、チベット仏教の
「活仏」(かつぶつ)と呼ばれる「生き仏」で
ある高僧というから驚きだ。

もともとダライラマ法王もそうだけれども
チベットのお坊さんにはストイックな感じがない。

そんな修行生活を送る僧院の様子も伝えながら、
少年僧侶たちがワールドカップの行方に大騒ぎ
しているストーリーだ。

ある少年僧たちは厳しい先生の目を盗んで村人の
家に行って、サッカーのテレビ中継を見せてもらって
いたが、ばれてしまう。

それでも決勝戦だけは見たい・・・。

一生懸命に勉強修行することを条件に先生を説得し、
テレビを借りて僧院内で観戦しようと懇願する。

一番の長老である僧院長は、おわん(カップ)を
めぐって、真夜中に国と国が戦うことが、とても
理解出来ない様子である。しかし・・・。

「物事は昔のままではない・・・今の若い僧侶は
想像もしない、いろいろな物に触れている・・・
昔ながらの修行は私が請け負おう・・・」
と言って許可が下りる。

「お坊さんがお金を持っていてはいけない」と、お金を
みんなから集め、入門したばかりの少年僧が大切にしている
母の「形見の時計」を「仏の教えは執着しないこと」
と言って奪い、それを担保にしてテレビと巨大な衛星アンテナを
レンタルする。

「この男がロナウド。坊主頭だが、坊さんじゃない」
ただのワールドカップの宣伝映画か?

映画は、チベットから母と別れ亡命してきた小さな少年の
得度式から始まり、悟りを開いたはずの僧院長でさえ、
帰国を夢みての荷造りを繰り返えす場面がたびたび登場する。

祖国を追われた彼らが故郷へ帰ることはできない。
そんな政治的なメッセージ映画なのか?

現代文明とは遠く離れ、ゆったりと時間が流れるヒマラヤ
の麓でも、「他人の時計を売り」どんな手段を使っても、他
人を犠牲にしてまでも突き進む、世俗の煩悩を皮肉った
ものなのか?

しかし一番ワールドカップを見たくて奔走した少年が、
決勝戦の試合を見ることなく、何かに気づくのだ。

そんな少年僧を、先生は「お前は金儲けが下手だな。
いい僧侶になるだろう」と褒める?

最後にチベット仏教の教えがテロップで流れる。

『自分を思うように他人を思うこと』・・・。

説明がよく分からないと思うので百聞は一見。
日曜日はレンタルショップへどうぞ・・・。

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