沖縄の「摩文仁の丘」で宗派の管長猊下とともに
戦没者の回向をしてまいりました。
太平洋戦争沖縄戦の最後の戦場となった糸満市、
摩文の丘一帯には、戦没者の慰霊碑が延々と
建ち並びます。
3ヶ月にも及ぶ鉄の嵐は、20数万のと尊い人命を
奪い去ったといいます。
近くには「ひめゆりの塔」もあり、この戦争は
一般住民の戦死者が多いといいます。
追い詰められて弾で打たれ、ある者は自ら命を絶ち、
飢えや病気に倒れ、また、軍隊の犠牲にされる人も
あったと聞きます。
戦争を知らない和尚は、その地に立ち体験者の話を
聞き、いろいろな資料を見せていただくことで戦争の
不条理を少しは体験できます。
現在の摩文仁の丘は、緑の整理された芝の中で
パノラマの美しい海が広がります。
でも、心地よいそよ吹く無情の風の中に、多くの
英霊の幽魂がこだましているかと思うと緊張を感じます。
100名近い僧侶の読響によって、戦争の犠牲になった
多くの尊霊を弔います。
来週には、友人たちが南洋テニアン島で戦没者の
慰霊に旅立ちます。
お坊さんたちは、どこかで誰かが必ず回向の祈りを捧げて
いるのです。
忘れられない言葉
モンゴメリが書いた小説の中に、戦没者を弔うミサで牧師さまが語るのです。『我々の明日の為に、彼らは、彼らの今日を捧げたのだ。平和は、彼らのものなり…』この言葉が忘れられません。捧げて頂いた今日に見合う明日を過しているだろうか…と。今日のお話の結びが心に沁みます。
沖縄の「摩文仁の丘」ですか、、
私も仲間が沖縄に行っていますが、ここにも行ったのかな?静かな公園だな、、て思いましたが、亡くなった
方達は犠牲者ですね、お経で亡くなった方に回向の祈りを捧げているのですね、、
私も何も考えないで生きてるから心配です、時々は
父や母や爺ちゃんが眠るお墓にも行かないとね。
困った時だけ手を合わせるて、きっと、笑っているね。。
玉虫さま
母の名前を叫び、彼女の姿を思い今日の時間を
捧げた若き命の数々・・。
明日に命があるかどうか分からないけれど
私たちは彼らよりは恵まれていることでしょう。
そんなことを、時々思います。
武雄さま
生きている人間だって、自分の存在を思い出して
もらいたいことはあるでしょう?
その気持ちが「増進仏果」といって仏の徳を高めて
いくのです。
恐れ多くも…
管長〇〇が読めない…(泣)
玉虫さま
「管長〇〇」これは読めないですよね。
すいません。専門用を普通に使っている
お坊さんたち!
「分からないだろうな」と思いながらも、
自分も使ってしまいます。
「げいか」とお読みして、「猊」はもともと
獣偏がついているように「獅子」のことです。
あの怖い顔は、外敵から守ってくれる形を現し、
そんな椅子を下にして座っている大切な高僧と
いうことで「猊下」と呼ぶわけです。
お寺にいくと、そんな獅子の形をした仏具を
見かけます。
「管長」(かんちょう)は、組織を管轄
する長の方という意味で、合わせて宗派を
代表最高位の方を、このように
お呼びしています。
ありがとうございました!
ひとつ、お利口?になりました♪