仏教伝来



インドで今から2500年ほど前におこった仏教の
教えは、中国の僧であった玄奘三蔵によって東方へと
伝わりました。

マイナス40度極寒の山をこえ、灼熱の砂漠を歩き
続かなければ、中国からインドへ渡ることも戻ること
も出来なかったのです。

その時間17年間と言いますから、玄奘の足跡は苦難の
旅であったに違いありません。

玄奘の苦闘や歓喜を、そしてそれ以上に、途半ばで空し
く倒れた、たくさんの僧たちの思いを感じ取った
平山郁夫画伯はそれを画面に刻み込みたい・・・。

「自分の気持ちを完全に注ぎ込んだ作品を描きたい・・・」と、
画家生命をかけ全身全霊を傾けて描かれた作品が、この
有名な「仏教伝来」という作品です。

玄奘三蔵の大偉業を思い浮かべて中国のオアシスに
着き、山川草木や小鳥たちもが祝っている姿だといいます。

その後、日本に仏教が伝来したのは、538年といわれて
います。

朝鮮の百済の聖明王から欽明天皇に金銅の釈迦如来像や
経典、仏具などを献上したことが始まりです。

当時の朝鮮半島は、三韓時代で高句麗・新羅・百済の
三国が対立していて、百済は日本の朝廷に対して友好
関係を深め軍事的な援助を得たいという思惑があった
ようです。

日本の中では、当時の権力者であった蘇我氏は賛成、
物部氏は反対として対立し両者の権力争いに・・・。

しかも当時の日本の宗教は神道でしたから、神道擁護派が
物部氏だったのでしょう。

しかし後に、物部氏を倒した蘇我氏や聖徳太子によって
ようやく仏教受容の道が公にひらかれることになるのです。

また、推古天皇は「命ある者がこの世で最も大切な親の
恩に対して,感謝と冥福を祈るために仏像を身近に置き
たい」と考え、ここから仏教信仰が始動するのです。

弘法大師もまた、真言密教の教えを授かり日本に帰国し
ましたが、時の朝廷に、十数年間も都入りを許されず、
その教えを広めることが出来ませんでした。

江戸時代の徳川幕府による檀家制度の確立、明治時代の
廃仏毀釈など、時の権力者や政治家の力と考えによって
仏教は大きく左右されてきているのです。

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仏教伝来 への4件のフィードバック

  1. 武雄 のコメント:

    そうですね政治に利用されて。。
    宗教が政治に利用されて来た事は悲しいね、、
    生き方もその時代で違うように価値観も変わって
    来ましたが、宗教は変わらないでしょ?
    平和が長く続くと争い事が増えて来て、戦争になった
    りしますが、鳥獣戯画は何を伝えているんですか?、、

  2. 和尚 のコメント:

    武雄さま
    詳しいことは知りませんが、無名の僧侶などが、
    動物などに例えながら世相を風刺したとか。
    これからの日本の将来が安心してポリシーを
    もつて歩んでいけると良いのですが・・・。

  3. 玉虫 のコメント:

    Unknown
    現在、日本は、宗教は自由ですよね。そして、『今日は何の日~♪』的に日常の中、色々な宗教の儀式を深い意味も知らず、イベントのように取り入れていますよね。でも、海外に目を転じれば、今も宗教の違いで戦争があったり、虐殺があったり…。仏教が伝来した当時の日本もああだったのかもしれませんね。飛鳥時代の仏像の厳しい表情が徐々に柔らかい慈悲深い表情へ変化していく…なんとなく『北風と太陽』の童話を思い出してしまいます。

  4. 和尚 のコメント:

    玉虫さま
    生まれた時は神社へお参り、結婚式は教会、
    亡くなったら仏教なんて、節操がないようにも
    思いますが、それぞれを集合させてしまう
    日本の宗教観は、何とも穏やか・・・?

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