昨日の臓器移植は、欧米などでは「物品」のように
リサイクルされている感覚ですが、日本ではなかなか
根付かないのです。
なぜかといえば文化の違いなのかもしれません。
たとえば聖地巡礼などの例で考えると、四国遍路の巡礼
で使う杖は、弘法大師の分身だと考えます。
1日が終われば「杖」をきれいに洗い清めるのです。
「同行二人」(どうぎょうににん)いつでもお大師さまと
一緒でお守りいただいていると・・・。
巡礼は、交通が発展していない時代には、厳しい修行でも
あったので、いつ死んでも良いようにと墓碑の代わりでも
あったのです。
しかし欧米になると、杖はただの歩行補助道具でしか
ありません。何かにおそわれたときに戦う道具であったり
荷物を引っ張ったり・・・。
それはそれで合理的ですが、ただの「杖」のひとつに
精神性が生命が宿るような考えはありません。
そこが欧米と日本の文化の違いで、臓器の提供ということも
どこかに抵抗があるのかもしれませんね。
5年前の医療技術は使えないというくらい、日進月歩で
進歩している医療現場・・・。
癌も根治されるでしょうし、人工臓器が完成する時代も
すぐそこに来ているのでしょう。
人の進歩は?
科学は進歩しても、それを使う人間の本質は百年前からほとんど進歩していないのでしょうね。
臓器移植もビジネスになりつつあるようです。不遜な行為だと思います。
JAさま
結局、人なんだと思います。
その「人」は、人が作りあげていくのでしょう。