最近は正座をして食事をする機会がなくなりましたね。
ましてや食事の時にお唱えする食事(じきじ)作法など
することもなくなりました。
「食前のことば」
一粒の米にも万人の力が加わっています。
一滴の水にも天地の恵みがこもっています。
ありがたく、いただきます!
「食後のことば」
み仏と大勢の人々の恵みにより、美味しくいただきました。
体を養い心を正しくして、あらゆる恵に感謝します。
ごちそうさま!
合掌をして「いただきます」と言う簡単な作法も、
「宗教的」だと、禁止する学校もあるようです。
ある学校の給食の様子を見る機会がありましたが、
何ともけじめのない食事風景でした。
最近は、法事のお経の中で落ち着かない子供が多いように
思います。泣いたり、騒いだり、歩いたり・・・。
好意的に考えれば元気の良い姿を見せてあげることは
ご先祖様に喜んでもらえることかもしれません。
しかし昔の子供たちは、つまらない時間だけれど、何か大切な
空間であることを感じつつ、我慢をしていたように思います。
ご両親も厳しく注意をしたし、それでも駄目なら堂外へ
サッと連れ出してしまいました。
そんなご両親も少なくなりました。「シ~ッ!」という
だけでは、子供には通じないと思うんですが・・・。
よくわからいけれど
もっと宗教的な情操教育をしてほしいと
思います。すべての宗教を公共の場所から
排除するのではなくて、特定の宗教に偏らなければ
良いのではないでしょうか?
そして、しっかりと宗教との向かい合い方を
教えてくれる方が大切なような気がします。
さちさま
統一的な考えを教えることは良くないですが、
子どものころに、体力をつけさせて、耐えること
公共意識を養うことは大切なような気がします。