フラメンコと和尚



フラメンコの第一人者、 長嶺ヤス子さんがお寺にきた

女性の年を言うのは失礼だが、少なくとも60歳は楽に超えている。
いつも人形のような長いフリフリのドレスと大きなレースの帽子、
綺麗な花を持ってくるので、和尚のお寺の雰囲気にはあわない。

彼女は大学を中退し単身でスペインへ渡った。「日本人にフラメンコが
踊れるものか!!」と失笑をかいながらも血が出るほど大地を蹴り続けた。
努力の末にスペイン随一といわれるタブラオ・コラル・デ・ラ・モレリアに
日本人として初めて出演し、絶賛を浴びた

20年後に帰国した彼女は、フラメンコと日本の古典芸能を合体させた
「道成寺」に挑み、その年の芸術祭大賞に輝いてしまった。

しかし彼女の考えた次の一手は、僧侶のお経(声明・しょうみょう)と
一緒に踊ることだった。「わたしお経で踊りたいの」の言葉に封建的な
和尚のお坊さんたちは、非常識と大反対だった。

しかし、いろいろな経緯もあって、「曼陀羅」公演として実現。
翌年の昭和59年には、海を渡ってニューヨークのカーネギーホールで
「曼陀羅」公演が行われた。辛口のニューヨークタイムズも大絶賛する
ほどの大盛況だった。

その当時の事務を担当した和尚としては、翻弄されながらも今に思えば
楽しい思い出だ。「もうこりごり」と思うのが人の常だが、長嶺さんは
決して苦境を苦しみと思わない。常にバージョンアップ状態だ。

来る12月2日には、久しぶりのフラメンコ公演があるので練習の
返りのよってくれた。いつも崖プチにいながら、しかも相当の(失礼!)の
お年でも前向きだ。

長嶺ヤス子最新公演の案内

「私はね、 いつも幸せなの・・・。 お金がなくて明日どうしようかて、
思うときでも幸せなの。だって、それなりにすごく何か溢れるものが
あって、 困ったら困ったで、 悲しみも溢れれば素晴らしいもの
でしょ・・・」だって。

何かを悟っている人って、どこかが違う・・・と思う

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フラメンコと和尚 への1件のコメント

  1. レッツ のコメント:

    本当にすごいです!
    コメントありがとう~
    長嶺さんはフラメンコで有名なのは知っていましたが、ご苦労されて今があるんですね私も見習わなくては・・・

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