如月の法師



2月も半ばをすぎました。
1月いく月、2月にげる月、3月さる月、などといいますが、この時期の
数ヶ月は本当に過ぎるのが早く感じます。

2月のことを「如月」と書いて「きさらぎ」ということがありますが、
この頃はあまりに寒くて服を着てさらに上から着るものだから、「着、更に着」で
きさらぎというのだといわれています。
今年は本当に「きさらぎ」の名にふさわしい寒さでした。

さて、如月と聞くと、ぱっと頭に浮かぶお坊さんがいます。
如月にまつわる有名なうたを残した方ですが…。

「願はくは 花の下にて春死なん その如月の望月の頃」

といううたを聞いたことがあるのではないでしょうか。
作者は、平安〜鎌倉期の僧、西行法師です。

西行法師はもと武士の出身でしたが、友人の死をきっかけに世の無常を思い、
出家したといわれます。一説には切ない恋が理由だったともいわれますが、
どちらにせよ世を捨てて仏の道に救いを求めたのはまだ20代前半の頃でした。

出家してからの西行の人生は、まさに漂泊。
旅から旅へと身を止めることなく各地でうたを詠みつづけ、73歳で亡くなる
まで50年近くそうした生活を貫きました。

さきの「願わくは…」のうたは、西行が亡くなるよりもずいぶん前に詠んでいた
もので、その意味は・・・

「願わくは桜の花のもとで春に死にたいものだ。2月の満月の頃の桜のしたで」

という意味ですが、西行はまさに如月の望月の頃、73歳で大往生したのです。

その生き様があまりにも美しい、ということで、西行の一生は当時から多くの文化人の
賞賛を受けたといいます。

このようにして死にたい、と宣言し、まさにそのようにして亡くなっていく。
なかなかできることではありません。

西行法師こそ、今でいう「終活」の大先輩だったのかもしれませんね。

うたにでてくる「花」は桜のことですが、当時の如月は旧暦ですがら、現在で
いえば3月半ば頃ということになります。

また、如月の望月、つまり2月の15日はお釈迦様が亡くなった日、
「涅槃会」のころでもあります。

仏の道を生きた西行にとって、これほど理想的な「最期の日」は、ほかになかった
のかもしれません。

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