「二十五菩薩お練り供養」のご功徳


京都・泉涌寺様の塔頭である即成院様で行われた
「二十五菩薩お練り供養」に大地蔵菩薩の大役と
して参加させて頂きました。

「お練り供養」は、仏教の来迎思想に由来し、人が亡くなる際に
阿弥陀如来と二十五菩薩が雲に乗って、極楽浄土から現世に
迎えに来る姿を表現しています。
即成院様のご本尊である阿弥陀如来・二十五菩薩(重要文化財)の
お姿は、まさに極楽浄土の世界観を感じますね。
この有難いご本尊さまのお徳を今にあらわす行事が「お練り供養」です。

つまり、現世に現れた菩薩たちが、人々を極楽浄土に導く様子を表現した
「二十五菩薩お練り供養」は、金色のお面と華やかな衣装で菩薩に
扮した25人が、極楽浄土に見立てた本堂と、現世に見立てた
地蔵堂の間に渡された長さ50メートルの橋の上をゆっくりと往復する、
橋渡しを具現化したものです。
二十五菩薩の金色のお面も並ぶと圧倒的な迫力があります。
しかも和紙で作られているのでとても軽いです。

そして、ご縁があって、この菩薩の中の大地蔵菩薩の大役を頂きました。
こちらが、そのお面です。やさしいお顔ですが、ちょっと怖さも感じます。

もともと仏の目線は、どこにあるのかと気になっていました。
観音経にも「慈眼視衆生」という、慈しみの眼で人々を視ていると説かれています。

「仏の慈しみ」とは、どんな視点なのかと・・・?気になっていたので、今回の
法会で地蔵菩薩のお面をかぶり、自らが仏となって衆生を見つめる
機会が頂けたというわけです。
江戸時代から続く貴重なお面は、最低限の小さな穴しか空いていません。

もっとも仏様は、半眼といって半分しか眼があいていません。
半分は外の世界を見て、そして半分は自己を見つめる、あるいは目には
見えないものを見ていると考えるからです。

そういった意味においては、今回のお地蔵様の小さな眼は、
視野がとても狭く、視界が制限されているので、仏様もこんな感じで
衆生を視ているのかな・・・と!

声なき声を聞いて手をさしのべて人々を救うと言いますが、
即成院さんに集まって善男善女たちを、すべて視ることはできません。
ならば大勢の中から誰を救うのか・・・?

ところが、その多くの中でひときわ目につく方々が何人かいる
のです。

身体に特徴があるとか、洋服がハデだとか、背が高いとかでは
なくて、何となく気になるというか、輝いている方々がいるのには
ビックリしました。

その輝きが、どこから来るのかはわかりませんが、多分「信心」の
ココロを持たれた方なのかと思いました。

もちろん勝手な想像ですが、何か心が改まる思いがしました。

お地蔵様のご真言を唱えながら、自身の内面にも眼を向けながら、
あまりにもゆっくりな動きなのでフラフラしながら、介添えの方の
お力を頂きながら浄土から現世に来迎し、多くの方々を仏さまの
極楽浄土へとお連れした大役も無事に勤めました。

終わって介添え頂いた横山先生と記念撮影・・・。
光背はいたる所でぶつけてしまい、ご住職様申し訳ありません。
傾いてしまいましたね(笑)
お地蔵さまから、お祝いの紅白饅頭を皆さんにプレゼント!

貴重な体験をさせて頂いた仏縁に感謝し、「我が心が仏なり」を
少しだけ近づけたような気がしました。

そして、この日の夜には、前々からお目にかかりたかった素敵な方と
偶然にもご縁を頂いて、ご功徳倍増の京都滞在でした。 合掌

朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASHBL4RKYHBLPLZB00B.html

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