まだ世の中がゆるい時代であった和尚が小さな頃には、お寺で
暴力団の葬儀をしていたことがあります。
下部組織の小さな組だったようですが、喪服姿のこわもて
兄さんたちが、境内でたむろしている光景をハッキリ覚えて
います。
なぜかというと怖いというより極めて優しい方たちばかりでした。
お寺の子どもということもあったのでしょうが、お菓子をくれたり
だっこをしてくれたり、それなりの好印象でした。
親分らしき人が通ると、90度ひれ伏してしまう大きな男たちに
かわいらしさも感じていました。
いまの世の中にあっては、世間の話題となっている暴力団排除条例に
よって、お寺で葬儀をすることはもちろん、そのような方々の供養を
することさえ許されない状態です。
反社会的な行為をする組織は、社会全体で排除していくという方法は
わかりますが、暴力団の人だって家族もあって、純粋に葬儀や供養を
したい気持ちになることだってあるかもしれません。
お寺からさえも排除されてしまったら、彼らはどこに行くのかと思って
いたら・・・。
先の報道で・・・
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/540680/
新しい場所を目指して、葬儀業界の仕事に入り込んでくるというのが
ありました。
なんでも、複数の葬祭業者と普段から関係を築いておき、顧客を
募集して、葬儀の依頼がくれば手数料をとる斡旋葬儀ブローカーの
仕事だと言います。
なんてこの葬儀屋さんは、いい人なんだろう~~~と、思って
いたら案外、暴力団かもしれませんよ~~!
日頃から信頼のある葬儀屋さんと事前にご相談をしておいた方が
良いのかもしれませんね!!
複雑ですね。
私は親分の子です。でした。もう何十年も前に亡くなりましたが、そのような葬儀を母のときも父の時もお寺でやりました。あの当時は、暴力団というより、昔ながらの親分さん的に呼ばれていて、町の人たちの相談役などもしていました。肯定はしません。もちろん今、社会悪として存在しているのでしょう。しかし、世の中の善悪、裏表とその時代の法律、社会の風潮が違うのは明らかだと思います。警察と政治家と暴力団はどれがほんとうの暴力か解らないことも多々あることを知っています。社会の決まりを守らないのはよくないことです。しかし、マスコミの力も借りて、くさい物に蓋をした「暴対法」は、一般人や外国人の凶悪犯罪を助長したとも思います。両親の死後、もう何十年もそのような人とは関わっていません。これからも関わることもないし、可愛がってくれたお兄さんたちはみんな亡くなりました。お墓参りも血縁の親族や親子で、あるいはひとりで行くのみです。昔からの顔なじみの町の人とお寺で会うと、両親に助けられたと言ってお線香をあげてくれている人がいたりします。何が本当の悪なのか・・と思うこともしばしばです。しかし、犯罪や暴力はいけませんけど。暴力団をかばう気はありません。しかし、猟奇殺人や大量殺人、陰湿ないじめなどで人を殺してもお寺にその家族は入れても、その団体であっただけで、そんな凶悪犯罪をしていなくても子々孫々、お墓参りもできないのでは、「死んだら仏」になるというのはどういう意味なのでしょうね。現在、家族にそのような団体の人はひとりもいません。すべて人様から「ありがとう」と言われる社会福祉や医療に関わっています。それは両親の教えでもありました。「ありがとう」と言われる人間になりなさい・・が。あまり極端な締め付けは、さらなる犯罪行為にもつながるし、その家族親戚は差別され、あらたな問題は深刻ですね。
Unknown
警察VS暴力団。
今でこそ対立しているが両者は協力しあい、治安を守ってきた歴史がある。
しかし日本が高度成長するに従い、警察は一転、暴力団を壊滅する方向に政策を転換。それに伴い暴力団は経済活動に進出した。
その対応策の象徴が暴対法だろう。
そもそも社会悪って定義は何?
僕は反社会勢力を肯定はしないけど、もっと目を向けなきゃいけない大事な事が沢山あると思う。
きっとマスコミの作り込まれた情報を鵜呑みにして、信じ過ぎている国民が馬鹿なんだろう。
実際に暴力団に対する封じ込めで、地下組織化が進む一方、外国人マフィアの介入を招き、検挙率が低下し治安が悪化しているのが事実です。
暴対法施行から今年で16年。
暴力団関係者は施行当時とほぼ同じの約8万人で変化はない。
むしろ、暴力団に対する締め付けで、組抜けした関係者が事件を起こすケースが増える一方で、外国人マフィアの介入を招いた。
その典型が石原都政が対策を推し進めた東京・新宿の歌舞伎町だろう。
検挙率が低下、治安は悪化の一途をたどっており、暴対法に効力があるのか疑わしい。