本山の朝は幻想的です



静寂の本山の朝は幻想的です。

夜の暗闇が徐々に消え、光が差し込んで明るくなり
全体がハッキリ見えるようになります。

仏教的では、この光が仏さまから発する智慧や慈悲に
たとえられて「光明」と呼ばれています。

光明は、私たちの迷妄の闇を破り、真理を照らしだし
行く手を示してくれるものです。

真言宗には、光明真言といって「すべての仏さまのお経」と
いうのがあり、この真言を唱えると、災いがのぞかれ死者は
成仏につけるというのです。

この光明真言を唱えて、仏さまの光明に照らされ救われる
ことを「光沢」(こうたく)といいます。

光は「光明」のこと、沢は「うるおす」という意味です。
プリント紙の光沢紙が、ハッキリ、スッキリと見えるのと
同じです。

でも、元の画像がしっかりしていないとハッキリと
表現することが出来ませんね。

でも安心してください。仏さまの光明を受けて「光る」ことが
出来るのです。

お月さまが、自分で光らなくても太陽の光りを受けて光って
いるのと同じように、私たちも仏さまの光沢をうけて光り
輝くことが出来ます。

そして、それによって他の人も照らすことができるのです。
あなたらしく・・・。

さあ、新しい1日の始まりです。

自然は、この日を自由に使うようにくれました。

無駄にすることも有意義に過ごすことも、あなた次第ですよ。

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