目を開くということ



お彼岸に合わせてお墓や仏壇、お位牌などを新しくされて
開眼(かいげん)される方がいます。

『広辞苑』によれば・・・
「仏像や仏画像を新しく作り、最後に眼を入れて仏の霊を
迎えること・・・」と、あります。

「仏つくって魂入れず」とも言われ、もともと木や石であった
ものに仏さまとしての働きをしてもらうために「仏としての魂を
入れる」的な作法というわけです。

とはいうものの、位牌の開眼をしたところで、その家族たちが
「この位牌に魂が込められていんだ」と、思えなければ意味が
ありません。

実は「開眼」は、私たちの「開眼」でもあるのです。
その場合には、「かいがん」となるのでしょうか?

再び『広辞苑』によれば・・・
開眼(かいがん
「物事の道理や真理がはっきりわかるようになること・・・」と
ありますね。

中村元先生の『仏教語大辞典』では、「カイゲン」は「智慧の目を開くこと」と
あります。

世の中の間違った情報や、やり方などの「妄想」にとらわれず、
大切なポイントを見つける一週間が、お彼岸の仏道修行期間でもあります。

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