「奥の細道」320年



「源氏物語」が生まれて1000年、大伴家持が「万葉集」締めくくりの
歌を詠んでから1250年……などなど、昨今は古典文学の節目を
記念する行事が目白押しです。

そんななか、あまり目立っていませんが、今年は松尾芭蕉が「奥の細道」に
出立してから、320年を迎えます。

「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。
舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらえて老を迎ふるものは、日々旅に
して旅をすみかとす。……」

元禄2年(1689年)の3月27日、住まいのある深川(いまの江東区
常盤あたり)から舟に乗り、隅田川をのぼって千住(いまの足立区千住橋戸町)
に上陸。いよいよ奥州方面を目指す長旅の第一歩を踏み出したのでした。

「行く春や鳥啼 魚の目は泪」

時間も旅人なら、わが人生も旅と決めて、船頭さんや馬引きにもなぞらえた
芭蕉ですが、千住での知人や弟子たちとの離別には感極まるものがあり、
「矢立の初」つまり旅の最初の句として、移ろう春に鳥も魚も涙、涙・・・
と吟じたのでありました。

いま、隅田川にかかる日光街道(国道4号線)の千住大橋のたもとには
「奥の細道・矢立初めの地」と書かれた石碑が建っています。

周辺は、交通量も多く、喧騒につつまれていますが、「芭蕉は、旅立ちの
ワクワク感と、友人たちとの別れの悲しみが、ないまぜになって、説明の
つかない心持ちでここに立っていたのだ」と思うと、時空を超えて感傷的に
なるから不思議です。

そのあとは、奥州へと北上し、奥羽山脈を越えて出羽へ、日本海を南下して
北陸へ、美濃へと旅はつづきます。景勝地とともに、途上で、おおくの
寺社を巡っていることもご存知のとおりです。

禅の先生だった和尚さんのいる下野・雲巌寺、那須与一ゆかりの那須・
温泉神社、松島・瑞巌寺、平泉・中尊寺、山形の〝山寺〟立石寺、北陸の
那谷寺や気比神宮・・・。
それぞれの地で、無量の興趣で句をよんでいます。

芭蕉が訪れたのは禅宗から天台、真言、そして神社まで、宗旨宗派は
さまざまですが、お寺や神社というものが長い、長い歴史のなかで、
文人墨客をふくめて数え切れないほどの人々の思いを受け止めて、いまも、
そこに存在していることは、とても大きなことで感慨をおぼえます。

やはり人間が人生を前に進んでいくときに、なんらかの心のよりどころが、
そこにはあるのだと思います。

芭蕉がそこにお参りしながら、「奥の細道」を一歩、一歩、歩んでいった
ように・・・。

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「奥の細道」320年 への2件のフィードバック

  1. かん のコメント:

    平泉へ
    先日、平泉に行ってきました。

    有名な奥の細道で詠んだ
    「閑かさや岩にしみいる蝉の声」・・・。

    都の文化を受容しながら独自の地方文化を
    発展させた平泉。

    芭蕉もこの美しい風景に驚きをもって感慨に
    ふけっていたのでしょうね?

  2. 和尚 のコメント:

    かんさま
    心の動いたことを、わずかな文字で表現する
    ことて、本当にむずかしいですね。
    そんな感性というか、感じ方を常に身につけて
    いきたいと思っています。

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