阿弥陀如来という仏さま



家にあってもしょうがないからとご奉納頂いた
阿弥陀如来三尊の掛け軸。

中心に阿弥陀如来を、観音菩薩と勢至菩薩を脇侍とする
三尊形式である。

たぶん浄土系のものだと思うが、鎌倉時期を思わせる
古さがあって、個人が枕元でいつも離さず念仏を唱えて
いた・・・そんな掛け軸だ。

なぜかと言うと阿弥陀如来は、大きく分けて三つの姿がある。
「説法」・「禅定」・「来迎」の三つだ。その中で有名なのは
「来迎」(らいごう)の阿弥陀如来で、親指と人指し指で
輪を作り、右手を胸の高さに、左手を下に垂らしている。

これは、信心する方の臨終に際して、西方極楽浄土より、
お迎えに来て下さる姿を表している。

信心の度合いによって、非常に充実している人は、大勢の
菩薩たちを引き連れてお迎えに来て下さり、速やかに極楽往生
できるという。

そんな浄土系と密教系では、「阿弥陀仏」の解釈の仕方も変わって
いて、密教では、悟りをひらいた「禅定」の阿弥陀如来を、
真言宗の本尊である大日如来を中心とした五智如来に加えて、
西の方角にまつり、妙観察智を司る仏とする。

「妙観察智」とは、さまざまな世の中の事象をよく観て、その
正しい姿を思惟する深い智慧のことをいう。

弘法大師は「無辺の生死いかんがよく断つ、ただ禅那と正思惟と
のみあってす」とおっしゃる。

つまり、苦しみ多く、幸少なきこの世において、まずは
深い瞑想に入り、自分の足もとを見つめ、そして確認し、
「いま」ある自分を振り返ってみる。

心静かに自心の奥に目を向け、自分には何ができ、また何を
すべきなのか・・・。

わかっているようでわからない「自分」を知ること、
本来の自分(真如)を発見することしかないという。

自分の現在位置がわかれば、どこへ行きたいかという方向も
わかるし、その生き方も明らかになるはずだ。

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