三蔵法師が見た「色」



お檀家さんが、オリンピックをみて中国旅行をして
来られたそうです。西安にも回ったそうで、楽しい
土産話を聞かせてもらいました。
和尚も去年の暮れに訪れていたので、話がはずみました。

西安の大慈恩寺に行ってみたそうですが、付近には
お寺風の形をした派手なケンタッキーがあって
お寺そのものは渋味が日本人好みかも、とのご感想。

大慈恩寺といったら、般若心経でも有名な三蔵法師ですね。
去年のブログでも書きましたが、今ではやたらと商売好きな(?)
お坊さんが住職になっていて、残念な気がします。

西安は現代の中国らしく大発展をとげていますが、
基本的には砂塵に囲まれているので、どんなに派手な
建物もどこかしらくすんで見えてしまいます。

特に西には、三蔵法師も旅した広大な砂漠が広がっています。

三蔵法師が翻訳した般若心経は、最も親しまれている
バージョンですが、その中でも「色即是空」の「色」。

これはもともと「ruupa」という古代インド語ですが、
三蔵法師、この訳にかなり苦心したそうです。

その結果が「色」でしたが、その意味は、「この世にある
すべてのもの(色)は、因と縁によって存在しているだけで、
固有の本質をもっていない(空)」という、仏教の基本的な
教えを表したもの。

「形があるけど、刻々と変化していって、いつかは崩れて
消え去るもの」それは、砂漠の砂丘も同じです。

砂漠の写真を眺めると、その訳がなんだか納得できる気がします。
どこまでも続く、「色」の失せた砂や瓦礫の大地を見ていると、
形のあるものの終焉を、そこに見出せそうな気になります。

きっと、三蔵法師は砂漠の旅の途中で考え続けたのでしょうか。

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