変わりゆく葬儀



最近の葬儀の形態が大きく変わってきました。

祭壇の花も「故人が好きだったから」という簡単な
一言でバラの花に・・・。

「オレの葬儀は自宅でやれ!」なんていう頑固親父は
別として、まず式場が、自宅から会館やセレモニー・ホール
などの他会場に変わりました。

それに伴って、いままで地域の方がいろいろなお世話を
していたのが、葬儀屋さん主導の葬儀に変わりました。
近くの方に相談するよりも葬儀屋さんに相談するのです。

何百人単位の葬儀から、身内だけの家族葬的な小規模の
葬儀になり、それに準じて会場もリビング葬という
こじんまりとしながらも、あたかも自宅のように調度された
会場もできてきました。

いずれにしても、このような葬儀会場での葬儀が、当たり前に
なってから、お通夜の意味合いも変わってしまったように思います。

「通夜」というのは、「夜」を「通して」という意味で、
まだ医学が進歩していない時代には、「あら~死んじゃったの」
「もしかしたら、また元気になるかも・・・」

そんな、不安と願いをこめて、夜通し起きて「葬儀」の準備を
しながら考える時間だったのだと思います。

お経なんてなかったのかもしれません。

お経があるのは「枕経」といわれる死の直前に行われ、死に行く
かもしれない人との「息あわせ」のために臨終の儀式として
行われたのです。

お通夜のお包みも「目覚まし」なんて書いたり、手ぶらでは
行けないので、淋しい「お見舞い」として和菓子を持参して
食べて頂いたり・・・。

白木のお位牌には、布のカバーが被さっていて、「葬儀」という
儀式を行う準備段階が通夜だったのでしょう。

でも現在は、「葬儀」よりも立派に行われ、位牌に戒名を書いて、
葬儀よりも会葬者?が多く集まるので、そのために喪主さんは
お料理の心配をしたり、必要以上の挨拶をしなければならない
のが現状です。

多くの喪主様が、葬儀屋さんを探す手段はインターネット。
そのためにトップ3に表示されるよう裏では並々ならぬ
努力が続けられているとか・・・。

長老さんがいて、隣近所の奥様方が炊き出しをしながら、
狭い家の中で汗をふき拭き、のんびりとしたお通夜が、
何だかなつかしい感じです。

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