遠くてもいきたい



「牛に引かれて善光寺まいり」といわれる
信州長野の善光寺。

その昔、老婆がさらしておいた白布を、牛が角に引っかけた
まま逃げていってしまい、老婆は、その白布を取り戻そうと
後を追いかけていくと、牛は善光寺の境内に入り、思わず
お詣りしてしまった・・・という。

思い掛けないことが縁で、あるいは自身の発意ではなくて
偶然に良い結果に導かれることの例えとして使われるように
なりました。

たまたま友人のお寺の本堂が新しく完成し、その法要が
あり、前から気になっていた「お数珠頂戴」という光景を
見ることができました。

日の出とともに本堂で始まる「お朝事(あさじ)」は、善光寺
全山の僧侶が出仕して勤める厳かな法要です。
その時に、お導師さまが、本堂を往復する際、参道にひざまずく
信徒の頭を数珠で撫でて、功徳をお授けになるのが「お数珠頂戴」
という儀式。

季節がうつり、時代が変わっても一日として絶えることのない
善光寺の風景で、この儀式を受けたいがために1泊される方も
多いとか・・・。

今回は、善光寺の創建(西暦642年)当初からその歴史を
共にしてきた尼僧寺院ので大本願住職の尼公さまが、わざわざ
友人のお寺までお出かけくださっての「お数珠頂戴」です。

太陽の日射しが強いなかでも、待つこと20分。信仰の強さも
感じます。お上人さまは、信者のお一人お一人の頭上を水晶の
念珠で触っていきます。

落慶大法要も浄土宗の儀式は、真言宗とは違って、とても身近な
やさしい感じで、とても参考になりました。

カテゴリー: 金剛院和尚のブツブツ雑記 パーマリンク

遠くてもいきたい への2件のフィードバック

  1. ケン のコメント:

    真言宗も良いです
    私の寺は浄土宗ですが、妹の嫁いだ家が
    真言宗です。不謹慎かもしれませんが私は
    真言宗の方が良いように思うのですが

  2. 和尚 のコメント:

    ケンさま
    もともと仏教の儀式は、深い仏の教えを
    感じてもらえるために行うものです。
    法然さま、弘法大師さまも、そのために
    いろいろなご苦労をされたんだろうと
    思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください