祥月供養



昨日は先代住職の祥月供養でした。
亡くなって4年目ですが、何だか遠い昔の
ような気もしますし、昨日のような感じも
します。

雨にもかかわらず、この日にお参りくださった
方々もおられて、本当にありがたいことでもあり
先代住職の徳かなと思います。

先代の住職は、72歳の時に住職はもちろんの
こと宗派の要職や調停委員などのすべての役職を
やめて引退すると言い出しました。

「自分に残されている命の灯りが、どのくらい
あるか、わからなけれど、その灯りが灯っている
間に好きなことをしたい」というのが大きな
理由でした。
それから、すぐにこんな車も買って全国をドライブして
おりました。

いくらしたいことがあるとはいえ、今までの地位や
自分がやってきた存在を、自らの意志でリセットする
ことは勇気がいることです。

人によっては、変わっている無責任という方もいま
すが、身近で見てきた子どもとして弟子としては、
立派な決断だと思っています。

そのあとを和尚が引き継いだわけですが、院政を引く
わけでもなく、私のやることには、一切文句や小言は
言いませんでした。
ただ、大きな幹を誤った時だけ「私はこう思うよ」と
静かに諭してくれました。

親として師僧として自らの行動で、人生とは、仏とは
「何か?」ということを示してくれた人でした。

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祥月供養 への4件のフィードバック

  1. ゆが のコメント:

    Unknown
    こんばんは。いきなり先月に出てきました。

    和尚様のお父様はもしかして自分の人生の後残りをどの位かご存知だったのではないでしょうか?

    残りわずかな人生をもう一度プレイバック、したくなった・・それは本との自分に出合う旅だったのではないかと考えます。でも間違ってたらごめんなさい。

    私ならどうするか・・と考えていてふと、そんなきがしたのです・・

  2. 和尚 のコメント:

    ゆがさま
    どうなんでしょうか?

    やめてから亡くなる数ヶ月までの10年間は、

    本当に気の向くままに好きなことをして

    生きてきました。

    そういう意味では、とてもワンダフルな老後だった

    ように思います

  3. ゆが のコメント:

    Unknown
    「人間て、どこまでが青春?」と聞かれた時、私は今がまだ、真っ只中です。って言える自信が・・ほんとには、ない。・・のです。でも、今は「しあわせ」です。

    お父様は10年という月日をめいっぱい、青春の心で時を尽くされた。

    それは、素敵な息子さんやお寺の皆さんのおかげだったのでしょう。

  4. 和尚 のコメント:

    だと思います
    思い残すことはなかったと思います。

    自宅でみんながいる時に亡くなったのも

    スゴイなと今になって思います。

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