真言宗では、お経のことを「声明」(しょうみょう)といいます。
1文字1文字に節がついているのが特徴で独特の響きがあります。
もちろん博士(はかせ)という五線譜に相当するものがあって音の
高低や曲もこれによって決まっています。
その曲を何遍も練習して忠実に唱えることができること、また声が
美しいことが心に響くお経という風になるわけです。
しかし先日、声もガラガラ声で音も微妙にはずれちゃうお坊さんに
出会いました。
でも、そのお坊さんのお経がとても「ありがたく」聞こえるのです。
それは、その方のお経が「聞くお経」はなくて、目を閉じていると
仏というか極楽浄土というか、そんな仏の世界がふくらんで想像できる
「見えるお経」だったんだと思います。
そうなれるよう日々精進です。