「気づく」ということ


カウンセラーの資格でお世話になった
先生に偶然会いました。とてもなっかしく
男同士ということも気にせずに路上で
ハグしてしまいました。
(ちなみにそういう趣味はありません。
誤解のないように)

近くにあったスタバでお茶をしながら、
話しをしましたが、二人とも時間がなくて
「NEET」の話しで終ってしまいました。
先生のメンタル病院も最近は若い方が、
大勢診療にこられるとか・・・。

和尚がカウンセラーというものに興味が
あったのは、自分や回りのお坊さんが
「よかれ」と思ってしている布教が、
実は悩みを抱えている人には、為にならない
ということに気づいたからです。

人の為にすることは、かえって人の為にならない。
つまり「偽(にせもの)」になってしまっているという
ことなのです。ちょっと誤解のある表現かもしれ
ませんが、その微妙な差に「気づく」ことが
カウンセリングの過程なのかもしれませんね。

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