お坊さんの世界でも、この言葉があたりまえに
なってしまいました
コピー機やデジタル機器がない時代には、借りた資料を
読破するか、自分で書写したものです。だから自分に身に
つくのでしょう。でもコピーだと何故か安心してしまい、
深く研究することがなくなってしまいます。
「法要の次第をコピーさせて」「布教の話しをコピーして」
「説戒という司会のようなノートをコピーしたい」「文献の
コピー」などなど...。
コピーが欲しいと言われたら、もちろん差し上げています。
でも、その一つの資料が出来上がるまでに、どれ程の時間と
費用と苦労がかかっているか・・・。
それがわかるから、同じ苦労を積んでいるから「コピーして。。。」
とは、和尚的には言いにくい言葉です。
でも便利。。。先日ももらってしまった。。。ありがとう!!
先日、重要な法要があり、初めての経験でわからないなりにも
頑張っている後輩を見て、こんな資料もあるから参考にと、
進んでコピーをあげました。
1回コピーが出回ると、孫コピー、ひ孫コピーと続き、
「学び」の意識の精度は劣化していきます。
でも、これからも「コピーちょうだい!」は、続きそうです。