「悟り」の感覚


たとえば満員電車を想像してみてください。
電車に乗り込もうとするときは、なにがなんでも
無理矢理に乗り込もうとします。

逆に電車の中にいる人は、少しでも自分の場所を
確保したいので、譲らずに乗せまいと頑張ります。

乗ってからは倒れないように足の位置や、肩を張って
自分の場所を確保するために、とてもツライ状態で
電車が動き始めます。

ところが不思議なことに、電車が動き出してから
その揺れに身を任せていると、隣に人との間に
ゆとりができてきて、随分と楽になっていく
経験はありませんか?

自分の「我」を押し通したり、目先の小さなこと
だけに一生懸命になりすぎていると、「悟り」の
境地には、ほど遠いものになっているのでしょうね。

そして、そのことに「気づく」ことが悟りへの
大切なプロセスなのです。

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