寺の地図記号「卍」


少し前に麻生副総理のナチスに関する失言がありました。
ヨーロッパでは、ナチス・ドイツについては、敏感な事柄で、
ドイツでは、ヒトラーが書いた『我が闘争』は現在も発禁となっています。

さて、ナチスドイツについては、仏教界でも一つの問題が・・・。

それは外国人が、寺のマークである卍を見て、ナチスの鉤十字を
連想してしまう、という問題です。

今日も外国人から、ナチスの鉤十字と寺のマークが、なぜ
似ているのか聞かれました。

少し詳しい人ならば、日本の寺のマークである「卍」はは左回り、
ナチスの逆鉤十字は、卍とは逆の右回り、ということを知っています。
しかし、卍には逆鉤十字と同じ右卍も存在しています。

では、「卍」とは、そもそも何なのか・・・。

卍は、インドで生まれたもので、仏教やヒンドゥー教で吉祥の
マークとされます。

ヒンドゥー教ではヴィシュヌ神の胸のつむじ、仏教では釈迦の
胸の瑞相を由来とするものです。

左旋回の卍は和の元、右旋回の右卍の、力の元といわれます。

日本においては仏教伝来とともに卍も伝わり、奈良時代の
薬師寺の薬師如来の掌と足の裏にも描かれています。

また、幕末に維新志士の精神的支柱となった吉田松陰の
家紋も卍です。

なぜナチスは、この卍に似たマークをシンボルとしたのでしょうか。

実はヨーロッパでも古くから卍のマークは使用されており、
ドイツのハインリッヒ・シュリーマンは、トロイの遺跡の中で卍を
発見しました。

つまり紀元前からヨーロッパでも卍のマークがあったことになります。

シュリーマンは、卍を古代のインド・ヨーロッパ語族に共通の宗教的
シンボルと考えました。

ナチスは、アーリア人を優勢種として、インド・ヨーロッパ語族の
諸言語を使う全ての民族を、共通の祖先アーリア人から発生した
ものとする学説を採用しました。
(現在では、疑似科学として完全に否定されています)

そのため、インドとヨーロッパが共通のアーリア人であることの
証明、シンボルとして卍をナチスのマークに採用したのです。

現在、ヨーロッパの多くでは、逆鉤十字マークは禁止されており、
場合によっては逮捕されます。

もともとは神聖なマークである卍が、このようなことになり
何とも残念なことですねぇ。

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