明日は節分の豆まきが行われます。
立春の2月3日に行われていますが、ちびっ子たちが
豆まきに参加できるので、ちょっと早い日曜日にしています。
地域の皆さんが、一生懸命準備をしてくださり、雨の中で
立派な舞台も姿を整えてきました。
大島部屋のお相撲さんや石原裕次郎さんのものまねで
有名な「ゆうたろう」さんや、地元の鈴南さんの玉すだれ&口上など
盛りだくさんなので、遊びに来てくださいね。時間はコチラ
とても賑やかな豆まきになりそうですが、明治時代に節分を
詠んだ正岡子規の句は、威勢のよい節分とは違って、少し
しんみりとさせられる句です。
「節分や親子の年の近うなる」
節分には、自分の年の数だけ豆を食べる習わしがあり、亡くなった
親の年齢に近づいていると思いながら、豆を数えている姿が
目に浮かぶからです。
明治期の俳人・歌人である正岡子規は、俳句や短歌の革新運動を
展開し、近代文学に大きな影響を与えました。
司馬遼太郎の長編小説『坂の上の雲』は、そんな正岡子規と友人で
日本を日露戦争で勝利に導いた軍人・秋山好古兄弟などを描いたもので
登場人物達の行動・判断は、この世にあってビジネスマンのバイブル書
として広く支持されているとか・・・。
この秋には、NHKが総力を挙げてドラマ化放映されますが、司馬氏は
10年の歳月をかけて『坂の上の雲』を完成させた苦悩を『空海の風景』で
このように述べています。
「私は空海全集を読んでいる同時期に、『坂の上の雲』という作品の
下調べに熱中していた。 この日本の明治期の事象をあつかった作品は
どうにもならぬほどに具体的世界のもので、具体的な事物や日時、
具体的な状況、あるいは条件を一つでも外しては積木そのものが
崩れてしまうといったような作業で、調べてゆくとおもしろくはあったが、
しかし具体的な事象や事物との鼻のつきあわせというのはときに索然として
きて、形而上的なもの、あるいは事物という本来大ウソであるかもしれない
きわどいものへのあごがれや渇きが昂じてきて、やりきれなくなった。
そのことは、空海全集を読むことで癒された。むしろ右の心理的事情が
あるがために、空海は私にとって、かってなかったほどに近くなった」
『空海の風景』(あとがき)より