人間は、長く生きてくると「こう、あらねばならない・・・」
という固定観念というものに操られている。
もちろん自分自身に対しても社会に対しても存在していて
それが、案外いろいろな考えや幅を抑制してしまっている
ことがある。
さらにイデオロギーも「何が何でも・・・」と、なって
しまったら大変だ。
それは、正しいことなのかもしれないけれど、人の意見を
きいて耳を傾けることはしない。だから「私が正しい」である。
お墓参りなんて見ていると、若い頃にはそんなものは
関係ないと豪語していた人も、年を重ね社会の中で
振り返ったとき・・・。
理屈とかではなくて、「そうしたいから・・・」自然と
心からの気持ちで来る方も多い。
あるいは和尚の知り合いに、お刺身を食べない人がいる。
熱処理などの何らかの加工をしていると大丈夫。
理由は「生ものは気持ち悪いから」である。
ところがあるときお寿司大好き人間に変身してしまった。
「嫌い」と勝手に決めつけていた、ただの食わず嫌い・・・。
「嫌い」なものが「好き」になってしまったおかげで、
いろいろな食べる楽しみが広がったようだ。
お彼岸の中日は、昼と夜が同じなので、お釈迦様が説かれた
「中道」(ちゅうどう)の教えにつながっている。
「どちらか」ではなくて、ものごとの真ん中で心が自由に
なれる難しさがあるけれど、実は「悟り」の中心はここにある。
今日はお彼岸の中日・・・そんなことも考えつつ、お寺に行こう!!