目を開くということ



お彼岸に合わせてお墓や仏壇、お位牌などを新しくされて
開眼(かいげん)される方がいます。

『広辞苑』によれば・・・
「仏像や仏画像を新しく作り、最後に眼を入れて仏の霊を
迎えること・・・」と、あります。

「仏つくって魂入れず」とも言われ、もともと木や石であった
ものに仏さまとしての働きをしてもらうために「仏としての魂を
入れる」的な作法というわけです。

とはいうものの、位牌の開眼をしたところで、その家族たちが
「この位牌に魂が込められていんだ」と、思えなければ意味が
ありません。

実は「開眼」は、私たちの「開眼」でもあるのです。
その場合には、「かいがん」となるのでしょうか?

再び『広辞苑』によれば・・・
開眼(かいがん
「物事の道理や真理がはっきりわかるようになること・・・」と
ありますね。

中村元先生の『仏教語大辞典』では、「カイゲン」は「智慧の目を開くこと」と
あります。

世の中の間違った情報や、やり方などの「妄想」にとらわれず、
大切なポイントを見つける一週間が、お彼岸の仏道修行期間でもあります。

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2 Responses to 目を開くということ

  1. フードアナリスト食人 のコメント:

    供養
    ご供養は親から子へ。子から孫へと伝承します。自分が先祖を良く供養すれば、きっとそれを見てあた子供たちも私の事を供養してくれると思います。供養は生きている人の義務や役目だと私は思います。先祖なしではこの世に生まれてこなかったのだから・・・合掌。

  2. 和尚 のコメント:

    フードアナリスト食人さま
    子どもは親の後姿で育つ・・・て言いますよね。
    自然な形で大切なことを伝えていきたいですね。

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